情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

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漫画、あるいは小説、もしくはエッセイなどの
印象、あるいは連想、もしくは感想を書いてるBlog。

1988年のGOROより、サイバーパンク特集 その1




 というわけで、


 に続き20年前のGOROより。特集のうちカラーページ分。
 昭和に書かれたものだというのに留意。


Aオーディオ+Vビジュアル+Cコンピュータでキミもエスパーになれる コンピュータ超能力主義で世紀末を駆け抜けろ!


GORO 1988年 No18 特集 カラーP 002GORO 1988年 No18 特集 カラーP 001
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  • 山崎浩一「日本はコンピュータ超能力者を創り出すか」


 サイバーパンクの代表作、W・ギブスンの「ニューロマンサー」は、日本の千葉シティーを舞台にしている。また、サイバーパンク的映像の代表のように言われる映画「ブレードランナー」の街は、まるで新宿・歌舞伎町のようだ。近未来のハイテクノロジー都市に日本のイメージが表出されやすいのはなぜだろう。
 日本が発明したヘッドホン・ステレオは、音よりもむしろ振動そのもの、刺激そのものをからだの中にジャック・イン(差し込む)する装置だ。この、テクノロジーを直接人間と接続するという発想こそ、サイバーパンク的発想そのものだ。
 また、コンピュータは、元来、人間の内部の一部分のコピーだ。つまり、それは人間と敵対する存在ではなく、ごく自然に接続され、人間の内部のなかに入り込めるはずのものなのだ。日本人は、コンピュータのプログラムに、ごく自然に「花子」とか「一太郎」とかいう人間的な名前をつける。それは「すべてのものに命が宿っている」(だから、シリコンチップにも命があっていい)と考える神道的発想の名残だろう。けれども、西欧的な人間中心主義ヒューマニズムからみれば、機械(コンピュータ)は人間に隷属すべき、敵対するものなのだ。
 コンピュータを中心とするハイテクノロジーの急激な進歩は、ヒューマニズムにとらわれた西洋人にとっては恐怖かもしれない。だからこそサイバーパンクのようなラジカルなSFも生まれるのだろう。しかし、機械=無生物でさえも対等の存在=仲間であると考えることにあまり抵抗を感じない日本人にとっては、日常的な意識や能力の延長/拡大として、自然に受け入れられている。サイバーパンク・ムーブメントの時代に、日本が注目される理由はそこにある。


 重複表現がちょっとおかしかったりしますが、ちょっとズレ気味なのがこの方の売りなのでこんな感じでしょうか。
 ただ、プログラム(や船や自動車などの無機物)に人間的な名前をつけるのは世界的に普遍な気もします。「ヴァレンティーナ」(ISBN:410223201X)だってそうじゃないですかね。




 いま流行ってるサイバーパンクってコトバは、すごく、あいまいなものだと思う。ちょうど、絵画の世界で、絵のテクニックに関してではなく、たまたま同時期に変なことをしていた人たちを、十把ひとからげに「後期なんとか派」とか呼んじゃってるみたいなものだ。
 コンピュータやハイテクノロジーのことは、もっと気軽に考えたほうがいい。
 ボクが思うにはニッポンはもうそんなコトバだけのサイバーパンクを超えて、“サイバーリアル”な状況になってるんだ。テクノロジーと人間が結合してるのが現実リアルとして出現してる。テレビ電話はあるし、クルマのナビゲーション・システムだってある。昔のSFで夢見られていたことは、もうほとんど現実になってきている。
 そして重要なことは、昔のSFではテレビ電話は単に「便利なモノ」として夢見られていたんだけど、それが現実に出現してみると、じつは阿蘇に屋エンターテインメントの道具(たとえばテレビ電話による売春クラブが出現したり)にもなってしまうということだ。ハイテクノロジーは、便利性を超えて快感を生み出す装置を作り出しているんだ。
 たとえば、ラジオも玉音放送のように受動的に聞くのではなく、単に自分の快感のためにチョイス(選局)する装置になった。テレビも、電話も、コンピュータも同じように変化してきている。快感のためにメディアやマシンを、主体を持って、チョイスして楽しんでしまう。それが本当の意味でのサイバーパンクの本質なのだ。
 それはボクたちを、さまざまな制度の呪縛から解き放つきっかけになるのではないだろうか。

 「ボク」「コトバ」みたいなカタカナづかいがこの頃っぽいかも。
 でも、内容としてはこれも驚くほど現代の状況にあてはめられるような。テクノロジーは快感と欲望が向く方向に使われる、とか。
 小説家デビューとなったノーライフキング(ISBN:4103701013)の出版直後ですかね。



CYBER GAMES


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 CYBER GAMESと題された見開きでは、前回紹介したハビタット堀井雄二木屋善夫のコメント以外に

 が紹介されています。

CYBER AV SYSTEM&CYBER STREET KIDS


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 CYBER AV SYSTEMでは音響アイテムなど。

  • パナカプセル
    • カプセル型オーディオシステム?現在検索してひっかかるのがマイクばっかなんで詳細不明。
  • パナソニックSSP-1
    • スピーカー。価格、詳細は不明。
  • ボーズ キャノンスーパーウーハー
    • 400,000円。BOSEの超低音域スピーカー

 なによりも、TVが大画面液晶やらプラズマやらでこんな薄くなったというのが驚きですかね。
 オーディオ関連は趣味で買う人は幾らでもつぎ込むんで比較にならないにしても、低価格帯での性能は格段に上がりましたね。
 あ、あとレコードはほぼ全滅しましたか。




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 CYBER STREET KIDSでは、AV製品とコンセプトカーや車関係アクセサリーなど。

  • パナソニック NV-V1
    • 188,000円。S-VHS・Cのビデオカメラ+液晶テレビの一体化製品。テープは最大で120分の録画に対応。でもバッテリーはそんなに持たなかったかも。
  • ソニー WM-505
    • 32,000円。ワイヤレスヘッドホンウォークマン。今だと、このワイヤレスユニットサイズのMP3プレイヤーが普通に存在しています。
  • ソニー PCT-15
    • 57,800円。テレビ電話、ですが1分間に3〜5フレームの白黒画像の送受信が限界。「映像出力が装備されてるから理論上は100インチモニターも可能」とはありますが・・・。
  • ソニー GV-8
    • 128,000円。8mmビデオウォークマン。モニターは3インチ。現在のワンセグ携帯だと画面サイズは同じくらい?それ以外の部分が分厚く重いのは仕方ないか。
  • 自動車各社の「カー・ナビゲーション・システム」
    • コンセプトカーに搭載されたものですが、「情報ビーコン」システムがこの頃はまだまだ普及してなかったんですね。
  • イオニアカロッツェリア
    • グラフィック・イコライザーデッキKPX-990(89,800円)、マガジン式カーCDコントロール・TV/FM/AMチューナーGEX-M900TV(69,800円)、カー・6型カラーモニターTVM-C6(99,800円)で総計259,400円。カーステレオは、まあ、こんな値段なんじゃないかな、今も。


 動画/音声の録画・再生、テレビ電話、ウォークマン機能、ナビ(現在位置表示)、というこの辺の機能を全て併せ持った上にバッテリーがものすごく長持ちする『携帯電話』(しかも重さは100〜200グラム)が20年後には数万円で売られているなんて想像もできなかったです。
 そう考えると今って随分「未来」なんですよね。当時、8センチCD専用ウォークマンなんてものも売ってましたが、今じゃ信じられない商品コンセプトってことになりますね。




CYBER NIGHT CRUSE


GORO 1988年 No18 特集 カラーP 009
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 ドライブコースの紹介ですが、ヨコハマみなとみらい21からチバシティー*1のポートタワーまで。
 ヨコハマベイブリッジ、子安インター、東京港トンネル、有明の「MZA」*2船橋ららぽーとの「ガイア」*3、幕張の人工海浜、ポートタワーといかにもバブリーな感じ。
 この頃はまだ幕張メッセビッグサイトも海ほたるもレインボーブリッジも無かったんですな。


 また、サエキけんぞうがテクノっぽいのを中心にドライブミュージックを提案。
 この頃だと流石にCDになってた・・・っけ?まだレコード中心だったかな。


 電脳サイバーって電気のなかに耽溺たんできしている感じがする。電気や磁気の集積でもあるレコーディングスタジオにこもってモノをつくること、それ自体が電脳的だよね。だから、サイバーデートには、電脳ミュージックがピッタリだよ。で、選曲の理由だけど、最近のスクリッティ・ポリッティは以前よりも音数が減ってきたけど、コンピュータによる音数の少ない音楽って電脳レベルが深まってる気がする。電脳な音楽の流れはクラフトワークから生じているよね。昔は終末を警告したのがロックのトレンドだったけど、いまは終末はともかくなんとなく大らか、というのが電脳ミュージックの味わいなんだ。その先駆となったのが彼らの「ネオン・シティ」。終末の悲愴感を塗り固め、健康的とまではいかなくても、大らかで、一見未来的だと思えるサイバー的な美しいフィーリングがこの曲にはある。
 坂本龍一の曲は彼の感性がYMO当時、YMOを逸脱するカタチで電脳していたと思う。スライ・ストーンは映画「ソウル・マン」のサントラでテクノ色になっている。パール兄弟の「ヨーコ分解」は60年代の京浜がテーマ。「TRON岬」は千葉タワーであるといわれてます(笑い)。

 紹介されてる曲は以下の通り。

おまけ


 GORO 1988年 No18 イース(ファミコン版)広告
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 白黒ページに載ってたイース(ファミコン版)の広告。
 2M*6ロム・バッテリーバックアップ付で6,200円。



 といったところで今回はここまで。





#あと2回くらい(特集の続きと白いワニの話)で終わる予定。

*1:ニューロマンサーだからな!

*2:現存せず

*3:現存せず

*4:ネオン・ライツの誤りか?

*5:これが不明。誰?

*6:バイトじゃなくてビット