「昔」と言っても江戸時代までは遡らない、大雑把に明治〜昭和初期の東京における屋台の寿司屋の話です。
「すしの美味しい話」(中山幹、1996年)を読んでたときに出てた話。
戦前までの「屋台の寿司屋」を実際に作って再現した時のエピソードで
「あと、丼を置いて暖簾をかけないといけないな」と、大前さんはいう。
丼は、並の大きさのものを一つ、漬け台に置く。つけ醤油用の小皿は面倒だから、この丼につけ醤油をたっぷり入れておき、客がこれを共用するのである。
「握ったのをこの丼にちょっとひたしてめいめいが食べるのはいいんだが、なかにはさ、半分食って残りをもう一度、丼にひたす客がある。するとシャリがこぼれちゃってね。だんだん丼の中がシャリだらけになってくるの。」
「すしの美味しい話」(中公文庫)P64より。
と、一人一人に小皿が無かったってのに驚きました。現在の関西風串カツのソースの様に醤油を供してたんですね。
そんな漬け方を出来るほどシャリが硬く握られていたかというのは、同書の別ページなどを見てみると江戸時代からの伝統だと可能だったのではないかな、と思います。
屋台ならではの風景だったのでしょうが、今からするとなかなか考えづらい話ではあります。
そして、ここでは「半分食ってもう一度」というマナーの悪い客が語られてますが、店によっては「二度づけお断り」ってのを客に言ってたのではないのかと思うのですよ。
別の資料にあたってみると、「すし物語」(宮尾しげを、1960年)における「明治のすし屋」の項では、以下の様に書かれています。
酢のぐあい、にぎり方は、このごろまでは固くにぎったものである。
つけ台は大きくスダレを敷いて、その上にすしを置いた。
ガリと醤油は丼に入れてあって共同に使ったので、すしをたっぷり醤油の中で泳がせるような客があると、醤油の上層は脂ぎったり、飯が下におどんだりするので、茶番が時おり布巾でこしたりした。
「すし物語」P191〜192より
握りが硬めであったこと、また、ガリも丼に盛っていた事がわかります。
そして、すし屋の職人気質を書いた項では
すしに醤油をつけるとき、ポロリポロリとシャリが醤油の中へこぼれた、「ずいぶんやわらかなんだナ」と独りごとを云うと、親仁さんの耳に入ったからたまらない「あんまりムラサキの中で、すしを泳がせると、シャリだって落ちるサ」
昔は、こんな職人気質の人がいたものだ。
「すし物語」P126より
とあり、丼の醤油に飯粒をこぼす様な「二度づけ」は文句を言われるという事があったのではないか、と推測されるわけです。
実際どうだったのかは不明ではあるけど、そうだったら面白いなあ。
といった所で今回はここまで。
余談 すしの川柳・俳句
「すし物語」には、すしを詠んだ川柳、俳句の紹介もありますが、醤油が絡んでるのは存外に少ない。
おしたじをぞんざいにする子のお寿司 周魚
鮨ひとつ醤油に崩れ酔っている 鈴波
の2つ位のものです。
与謝蕪村は鮓の出てくる俳句をたくさん詠んでいた様で、17も紹介されてます。
そこから5つ程ご紹介。これらは、にぎり寿司ではなく、熟れ鮓だったんじゃあないかという話ですが、武士と絡むようなのもあったり。
鮓桶を洗へば浅き遊魚かな 蕪村
木の下に鮓の口切るあるじかな 蕪村
夢さめてあはやとひらく一夜鮓 蕪村
鮒ずしや彦根の城に雲かゝる 蕪村
一と鮓なれて主の遺恨かな 蕪村
沢山の人が詠んだ俳句・川柳をテーマ別に収集したものがありますが、季節や風物でのくくりはあっても「寿司」ってのは無さそうですね。
「食べ物」ならあるのかしら。今度探してみよう。