それから、料理人の高い水準をも、こちらの陣営にとりこむだろう。
シェフを名乗る人たちは、思い切り実験的で、好きなだけ独創的になることができるものなのだ(目に見える斬新さが、結局はパクリでしかないとわかっても)。
シェフは、自分が誇りをもって出す一品が、ほとんど失敗の許されない、恐ろしく正確な方法で調理されることを承知している。
ジュリアン・バーンズ「文士厨房に入る」 P23より。
ニュアンスはあってるのかもしれませんんが、翻訳として「パクリ」ってどうなんでしょう。
原文に当たってないけど、文語としては「模倣」「亜流」「焼き直し」なんかを使うのでは、と思うんですが。
とはいえ、現代においては既に辞典にも掲載されてる言葉だし、アリなのかなあ。
うーん。バーンズが今65歳だってのを考えるとやっぱりおかしいかも。
テニスに関する名言
同書、P157より。
レストラン経営者、ケネス・ロー(一九三〇年代にデヴィスカップに出場したこともある)が七十代後半に言った言葉。
彼は、六十代に入ってからテニスがうまくなったとわたしに語った。
そこでわたしは、どんなふうに、またどうしてなのかとたずねた。
「もっとリラックスできるようになったから」と、彼はこたえた。
この後、ジュリアン・バーンズがさらに深くこの言葉の意味を追っていくのですが、なるほど、と思わせてくれました。
自分はその境地に至るのは難しいだろうなあ、とも。