情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

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漫画、あるいは小説、もしくはエッセイなどの
印象、あるいは連想、もしくは感想を書いてるBlog。

実在の人物と、それに対する表現とのずれについて(海野弘)




 私たちがよく知っていると思っている人が、文章や絵の中でおどろくほどすばらしく表現されていることがある。自分の印象では、それほどすばらしい人ではないはずだ。このようなずれをどう考えたらよいのだろう。
 自分の判断を正しいとすれば、文章や絵は、つまらないものを実際以上にあらわしたことになる。その表現の価値は下がるだろう。
 しかし逆に考えることも出来る。それらの文章や絵は、人生の価値をひき上げているのだ。私たちの知っているその人が平凡に見えたとしても、文章や絵においては、すばらしい人に変容しているのである。


 海野弘プルーストの部屋」中公文庫版 下 P217〜


 ある人が描いた作品を読んだり、また、ネットで書かれた文章を読んだり、本人によるツィートを読んだり、勝手に想像していた「その人」とのギャップが生じることはままあることでしょう。
 でも、それでいいと思うんですよ。


 もちろん、逆に貶められているという場合もあるし、どっちが残るのか、という問題は付きまとうのでしょうけれども。



プルーストの部屋〈上〉―『失われた時を求めて』を読む (中公文庫) プルーストの部屋〈下〉―『失われた時を求めて』を読む (中公文庫)