私たちがよく知っていると思っている人が、文章や絵の中でおどろくほどすばらしく表現されていることがある。自分の印象では、それほどすばらしい人ではないはずだ。このようなずれをどう考えたらよいのだろう。
自分の判断を正しいとすれば、文章や絵は、つまらないものを実際以上にあらわしたことになる。その表現の価値は下がるだろう。
しかし逆に考えることも出来る。それらの文章や絵は、人生の価値をひき上げているのだ。私たちの知っているその人が平凡に見えたとしても、文章や絵においては、すばらしい人に変容しているのである。
ある人が描いた作品を読んだり、また、ネットで書かれた文章を読んだり、本人によるツィートを読んだり、勝手に想像していた「その人」とのギャップが生じることはままあることでしょう。
でも、それでいいと思うんですよ。
もちろん、逆に貶められているという場合もあるし、どっちが残るのか、という問題は付きまとうのでしょうけれども。