ということで、前回(堀井雄二が「ネット版ドラゴンクエスト」(仮称)に前向きとのコメント)に続き20年前のGOROより。
このインタビューはアニメ映画『AKIRA』の公開直後のものかな。
メインの特集が「A+V+Cでキミもエスパーになれる コンピュータ超能力主義」というタイトルで、少々偏った感じのもの*1なので、インタビュアーのおかしな質問とその答えは確認したい方だけ画像の方で確認してください。
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独占インタビュー 大友克洋の『AKIRA』的テクノロジー&超能力未来論
だから、だれでもそういう力(超能力)を持っているんだ、ということが『AKIRA』のメッセージかといわれてもねぇ……そんなメッセージなんて大層なものはないんだし……う〜ん、ま、そういっちゃったほうが話がまとめやすいってだけのことでさ。ちょっとヒューマンな話になったのも、そうでもしないと、あまりに殺伐をしすぎているからってだけで……うん、それだけのことなんですよ。
この後、スプーン曲げで曲げられたのを持ってるとかなんとか。
DNAの複雑に交差したらせん状の模型を最初に見たとき、イスラム建築の壁画とかに似ていると思ったんだ。コンピュータのマイクロチップスの形状や曼陀羅図にも似ているし。みんな同じ共通のイメージがオーバーラップしてくる。偶然の符合って言うか、ある大きな共通のイメージがあるんじゃないかと思うんですよ。
『AKIRA』の風景はすでに現実のものでもあると思うんだよね。あれは現在をデフォルメしただけで、決して現実からかけ離れているものじゃないんだから。映画の『ブレードランナー』もそうだけど、ちょっと現在に何かをつけ加えれば、ああなると思うんですよ。
21世紀になっても自動車やバイクはガソリンで動いてるし、和風建築も都心近くに残ってる。
でも、携帯電話でメール打ちながら自転車に乗る、とか想像もつかなかった光景が出現してたりもします。
科学の現実を人間が咀嚼しきってない気がするね。昔はもっとスピードが遅かったでしょ?でも、いまは咀嚼する前に新しい物が出てきてしまう。企業が大金をつかっているからだと思うんだけど。今の科学というかテクノロジーは個人レベルに下がって、家庭に入り込んできてる。
もう、何が売り出されてもありがたがってる感じはしないし。物を作るシステムに人間が取り残されて、飽きちゃってる。ビデオが最初に登場したときは感激したけど、いまは、ビデオの新製品が出てきても、どうせ来年にはもっとイイのが安くなるから、なんてね、ハハハ
合成サンマはまだ出来て無いですけどね。
この20年で一番大きく変わったのはやっぱりパソコンと携帯電話か?次に来るのはなんだろうか。
だから、これからなんて、ますますSF作家の人は大変だと思うよ。現実に追い越されちゃってる。ま、ボクはSF専門じゃなく、マンガ家だからいいけどさ
と言っておりますが、この後の大友克洋は映像作家方面に傾注し、マンガは殆ど描いていないのです。
映画というのは、何かを感じるということがイチバン大切なんだ。言葉でそれを伝えてしまったらダメ。非常に抽象的なものを表現してるんだからさ。見たあとに、なんだかわからない、説明できないようなメッセージが残らない映画はダメだと思うんです。
大人はすぐそうしたがるけどね。分析しないでいられない(笑い)。でも、作る方はもっと曖昧なものを作ろうとしているんですよ。
それよりもいま、宗教が面白いなって思ってるんです。たとえば、念仏でも賛美歌でも、あれらは多くの人間が一緒に歌ったりして、結局はあちらの世界に飛ぶというか、ナチュラル・ハイの状態に自分を持っていくための儀式としてのものでしょうし。その催眠効果ってすごいですよね。メロディーやリズムも究極というか、よく出来ている。
宗教は命を賭けている人までいるし。あのなかには何もかもがあるんじゃないですか。
でも、徹夜を三日くらいやっても、ナチュラル・ハイになるなぁ。つまんないギャグで笑いが止まらなくなったり、時間の流れが変わったりね(笑い)。あれもトリップしますよね。
この辺、後の映像作品に通じているのかどうか。
オウムとかあって方向変わったんじゃないのかなーとか。
まぁ、でもいまはマンガのほうの『AKIRA』をとりあえず終わらせることに集中しなくちゃいけないんですけど。来年の春ぐらいには終わらせるからさ。もう7年もやっちゃって、いい加減、飽きたしね
このようなコメントがありますが、実際に完結したのは1993年3月。(ヤングマガジンでの連載が終わったのは1990年6月だが、最終巻である単行本6巻は書き下ろし作業などにより当初の予定から大幅に遅れて出版された)
現在までに通じているところと、その場の思いつきと、変わったところとが混在してる感じですか。
映画は「言葉でそれを伝えてしまったらダメ」というのは非常にらしいけど、それが最近の作品で成功してるかというと、えー、見た人次第ですかね。
といったところで今回はここまで。
1988年(昭和六十三年)の小学館「GORO」9月8日号(No.18)より。