情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

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漫画、あるいは小説、もしくはエッセイなどの
印象、あるいは連想、もしくは感想を書いてるBlog。

遅くとも1981年には日本の「漫画」が海外輸出されてた


 ちょっと前から記憶に引っかかってたのを探してたんですが、やっと判明。
 『MANGA』ってそのまんまなタイトルで、日本の漫画家による漫画の英語版が1981年に発売、1983年に逆輸入されてます。



 自分が覚えていたのは多分この「ぱふ」1983年4月号のTOPICSコーナー。
 こんな風に紹介されてたけど、現物見かけなかったし、現在まで未入手のまま。




『MANGA』という、日本のまんが家による、海外向けの翻訳されたアンソロジイがメトロ・スコープという所から発行された。
もともと、日本のまんがを紹介しようという目的で、ニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドンで発売されたものの、逆輸入版らしい。
確かに描いているのは一流どころで、平田弘史星野之宣(カラー)、大友克洋(カラー)、三山のぼる、福山庸治などのまんが家をはじめ、生頼範義のカラーイラストも掲載されている。
日本のまんがが海外に紹介されるのは非常に喜ばしいことではある。
国際問題やら何やらで日本が世界的に注目されているという状況が、こういう試みを成功させたとも言える。
まあ、きっかけはどうでもよい。これから日本のまんがが海外で出版されるようになればいいのだが、主としてページ構成の問題で簡単にはいきそうもない。
この『MANGA』にしても、長いもので20ページ程度であり、長編を海外用に描き直したりすれば膨大な手間と時間を要する。
決して楽観的ではいられないのだ。ようやくスタートラインに着いたというところであろうか。

 
 



 


 ここに名前の出ていない作家は、「ポポロクロイス物語」の田森庸介宮西計三など。
 詳しい内容や収録作品はこちらのページで紹介されてます。


 ただ、海外での正確な発売時期がよく分からない。1981年でいいんだとと思うけど、書誌情報だと1980年ってなってるのもある。
 田森庸介のHPのプロフィールの作品発表年見ると1981年で確定でいいのかな。
 2年後にそのまま逆輸入ってことは、それなりに売れた、もしくは刷られたってことでしょうか。



 これよりも後、日本の漫画が海外にさらに進出するまでには、もう少し時間がかかりました。
 「子連れ狼」が「Lone Wolf and Cub」というタイトルで英訳されたのはこの4年後の1987年。AKIRAの国際版は1988年。アメリカ版週刊少年ジャンプが創刊されたのが2002年。
 現在のような大規模な翻訳・出版状況になるというのはこの時点では想像もつかなかった事ですね。


 ただ、もう少し古い例もある筈なんでそこは鋭意捜索中ということで。
 初英訳は70年代のはずなんですよ、多分。



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余話


 この「ぱふ」に「まんが同人誌専門店」として「COMIC INN」の広告が出ています。
 
 


 開店時期は雑草社に移ってから、つまり1981年以降ですが同人誌専門店としては、ふゅーじょんぷろだくとの「ふりーすぺーす」とこっちとどちらが先(というか日本初)だったんでしょうか。
 そういやどっちも新宿近辺だったんですね。




#携帯電話のカメラでも結構どうにかなるもんですね。