本日発売の週刊漫画ゴラクで、板垣恵介&RINによる「どげせん」は終了。今後は、原案:板垣恵介、ってな形になるんですかね。
作品に対する姿勢の違い、土下座に対する考え方の違いが、連載を重ねる毎に大きくなっていき、同じ作品内で意見のすり合わせが困難を極めていきました。
そこで発展的話し合いの結果、両先生ご納得の上で、このコンビによります「どげせん」は、終了との結論に至った次第であります。
ではこの「土下座に対する考え方の違い」とは何なんでしょうか。
ミュージシャン風に言えば「土下座性の違い」ってあたりですかね。
今までに作品中で描かれてきた土下座について考えてみれば、土下座とは、懇願であり、祈りであり、慈愛であり、感謝であり、最強の矛であり、最強の盾であったわけです。
これを、判りやすく四象限にしてみると、土下座をする本人の為のものか他人の為のものかという軸と、攻め・攻撃的なものか、防護・守護的なものかという軸になるのではないかと考えられます。
- 自分の為の攻撃が「懇願」
- 自分の為の防護は「感謝・懺悔」
- 他人の為の攻撃は「救済」
- 他人の為の守りは「慈愛」
と言い換えることも可能でしょう。
そして、このそれぞれの象限における「強さ」というのは同じ「強さ」でありながら発現の仕方が異なるものなのですが、土下座の場合はどこにでも対応可能であるある意味オールマイティーな、それでいて強力すぎる手段であるということが出来るのではないでしょうか。
この作品の最初のキャッチフレーズとして「強さとは何か?」という問いがありました。
板垣恵介とRIN(笠原倫)の過去作品を見てみると、上記の四象限で異なる位置にある「強さ」を描いていたのではないか、とも思えるのですね。
板垣イズムで言えば、勇次郎は自らの為の攻撃的な行動が「強さ」であるとし、メイキャッパーではメイクの対象となる女性を変えてみせることで攻めに移らせるという「強さ」です。
笠原倫の「サンガース」におけるW浅野は、腕力自慢の「強さ」を持つ不良でありながら、なんだかんだとエゴイズム的な言動をしながらも味方を守るための自己犠牲的行動をためらうことはありませんでした。「女郎」の主人公、拝島日明は最初は姉の代わりとしての教師役でしたが、何時しか生徒のために行動する「強さ」を持つようになっていきます。
そう、最強の矛であり盾である「土下座」を描くときに、意見の相違が生じるというのは納得できなくもないということです。
しかし、であるが故に、この二人の合作であった「どげせん」が傑作になりえたとも言えるのだと思います。
一方向だけの「強さ」は単純バカというか、それはそれで説得力のあるものなのですが、何かおかしいものであろうと思います。
この矛盾も伴う二者であったが故の作品だったとも言えるのですが、しかし、それぞれの「土下座」を描いてくれるのであればその差異も含めて楽しめるかとも思えます。
果たして、今後の「どげせん」が、そして板垣恵介による「土下座漫画」がどういった展開を迎えるのか。
今は待つしかありませんが、楽しみに待たせていただきたいと思います。
だからそう、読もう!週刊漫画ゴラク!