万世渡って、北へ真っ直ぐ行ってくれ
落語「反対俥」にこのような一節があります。
この噺、人力車の車夫とその客を扱った話で、もともとは上方で演じられた噺「いらち俥」が東京に輸入されたもの。
噺のスタート地点は神田今川橋と言われていまして、現在の神田駅近辺。
「万世」は「万世橋」ですから、神田から中央通をまっすぐ上野に向かう、というルートです。
こういうルート。
まさに、今日再開された秋葉原の歩行者天国を抜けていく道筋なんですね。
さて、この噺では上野駅から出る汽車に乗るために人力車を使って急ぐのですが、これ、現代の人から見るとアレ?ってなるんじゃあないでしょうか。
神田駅から上野駅なら、山手線も京浜東北線もあるんだし、と。
いくつかの時代背景
この「反対俥」が何時頃、東京に輸入されたのか、実は時代背景を知っていることで推測可能です。
もちろん、「人力車」が出て来る事から、日本、それも東京で人力車が活躍した時期である明治初期から昭和初期ということはすぐに判ります。
そもそも、桂文屋がこの噺を新作として作ったのは1909年、明治四十二年とされており、上方においてはこの噺はその頃が舞台と言うことが判ります。
大阪で人力車がどうなったか、みたいな話含め、こちらのページが参考になります。(年号は修正が必要っぽいけど)
参考リンク
では、この噺が東京に輸入され、形式が成立したのは何時頃か。
それは神田から上野に行くのに電車ではなく人力車を使う、ということがヒントになるんです。
電車で行くと時間がかかる、大回りになるということがあったが故に人力車を使ったのではないか。
つまり、山手線が今のように円環を成していなかった時代、1925年、大正十四年以前だということが推測されるんですね。
ということは、大正初期〜中期だろうと言う事が出来そうです。
参考リンク
また、当時ですと、神田近辺にも上野近辺にも寄席・定席が複数存在していたというのと、売れっ子の噺家が寄席のかけもちをする際に人力車で東京中を駆け巡ったという話などから、輸入した落語家からすると馴染みのルートだったということかもしれません。
初演時期を敢えて調べていないのですがそんなに間違っては居ない筈。
しかし、のの字運転を結び付けてるサイトが見つからないのはちょっと意外。
そんなの当たり前だろ、と皆さん思ってたのかしら。
時代と作品と背景と
現代を舞台にした小説に出てくる携帯電話やインターネットのありかたとかを数十年先の読者が読むと、なんだこりゃになるかもしれないし、未来を書いたSF小説を読めばさらになんだこりゃ、かもしれません。
例えば、リチャード・ウィルスン「第五惑星の娘たち」(1955年作品)では、1988年にはアメリカには女性大統領が誕生して、1998年にはほぼ全ての議員と選挙で選ばれる公職が女性のものになっていた、なんて話だったりします。*1
未来のゲームを描いた作品なんかでも、ゲーセンのあり方とかネットゲームの廃人とか、予想が全然違う方向に行ってたり、意外と近い方向に行ってたり。
ある作品が作られた、描かれた時代背景のささいな部分をちょこっと考えてみると、結構面白い。
作者の「あたりまえ」が、何十年、何百年かしてみるとそういうことだったのね、ってな話になってる。
読者が例えばある作者の本を辿って読む時に、時代背景ってのを意識せずに読むことは出来ないでしょう。
ヤクザの話を読むときには暴対法に対する描き方とかね。
解説や説明が必要になるのはどんな場合か、ってのはリアルタイム読者にはわからない部分でもあります。
ある意味、海外作品を邦訳する場合と一緒。
例えば「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」の中で、5年後、または20年後にどれだけの註記が必要になるかというのは、ちょっと予想がつきません。
その頃には全て電子書籍になってリンクが埋め込まれて終わり、かもしれないし。
秋葉原の歩行者天国も、ある作品では影も形も無く、また別の作品では当然のように存在し、今の作品だと一旦中止されていたと書かれ、今後の作品では復活したけどすぐ駄目になった、となるかもしれない。
今後どうなるかはわかんないけど、無事に続くといいな、と思っています。
といったところで今回はここまで。
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*1:これは風刺要素の強い作品ですけどね