情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

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漫画、あるいは小説、もしくはエッセイなどの
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宮崎駿、ロリコンについてコメント


宮崎駿 1982年6月


クラリスに、“ロリコン”人気が集中しているということですが、ぼくには無関係のことだと思います。
ただ、いまの若い人はロリコンを“あこがれ”の意味で使っているでしょう。思春期にはダレにも体験があることです。
ぼくのばあいも『白蛇伝』の白娘にあこがれた時期がありました。1年後には卒業しましたけどね(笑)。そういうものだと思います。
それと、ぼくらはあこがれを“遊び”にはしなかったし、また、大っぴらに口にすることは恥ずかしかった。“恥じらい”があったんですよね。
それがあったほうがいいかどうかは別問題ですけど、とにかくいまのぼくは“ロリコン”を口で言う男はきらいですね。

    徳間書店アニメージュ 1982年6月号より*1



 この1982年というのは、宮崎駿としてみれば不遇の頃。
 1979年に「ルパン三世カリオストロの城」で劇場アニメ監督デビューを果たしたものの興行的には振るわず、この年の1月から漫画版「風の谷のナウシカ」の連載を始めてはいたものの本職のアニメの仕事は殆ど全く無し。
 そんな頃でした。


 とはいえ、これは四半世紀も前の記事。その後の経過は皆さんご存知の通り。
 宮崎作品のヒロインの傾向はというと、まあアレですな。




 未だビデオが一般に普及していたとは言えず、OVAというのが出てくるのはこの翌年。
 「アニメファン」が買うのはレコードかカセットテープで、コンパクトディスクはこの年の秋になってようやく発売。
 「オタク」という言葉が人口に膾炙するのはもう少し後のこと。
 アニメ・グランプリは日本武道館で1万2千人もの観客を動員して行われていました。
 そんな時代。
 

 1982年 5,6月号



#たまたま出てきた、2冊の1982年のアニメージュからのネタ、もうちょっとだけ続きます。



*1:この記事自体は1981年度を対象とした投票の為、「'81年スポットPEOPLE」となっています