情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

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漫画、あるいは小説、もしくはエッセイなどの
印象、あるいは連想、もしくは感想を書いてるBlog。

「たん」に関して。小説で自覚的に使われている例(1970年?)。


 超革中 文庫版P169


 画像内赤枠部分。傍点付で使われています。*1


 うーん、起源というか使われ始めはいったい何時なんでしょうか。



 この作品は超革命的中学生集団@平井和正


  超革中 文庫版表紙 超革中 文庫版口絵




 連載は旺文社の「中一時代」で1970年に掲載。初出時にこうだったかは要調査かな。
 単行本化は1971年9月に朝日ソノラマより(この時に永井豪による表紙、挿画)、1974年6月にハヤカワSFシリーズで文庫化。



 今回の引用画像は、ソノラマ版は持ってないんでハヤカワ版から。
 なので、ひょっとすると文庫化のときに加わったものかもしれず、そうすると1974年の例ということに。
 誰かサンヤングシリーズもしくは中一時代でどうなってたのか分かる方いたら教えてほしいです。


 以前の関連記事(1983年の週刊少年マガジンでの例):http://d.hatena.ne.jp/soorce/20050925#p1

蛇足、というか本当はこっちが本題だったけどまあいいや。


 で、この超革命的中学生集団はライトノベルの源流の一つと目されているそうでして。
 現在ライトノベルと呼ばれるものの『形式的な原型』は確かにその辺で生まれてると言えそうかなと。(断絶はありますが)


 形式というのは、(皆様のご意見に逆らうつもりは毛頭ございませんので)素人目から言わせていただくと

  1. 版形が文庫で
  2. 想定読者が中高生くらいからで
  3. 口絵とイラストがあって
  4. その絵は漫画家が描いてる、もしくは漫画調

 といったあたりです。はい。


 この中では1,4番目に挙げた要素がポイントで、斎藤和明、武部本一郎金森達真鍋博のような「挿絵画家」ではなく、漫画家が漫画家として挿画を描きはじめたのが1969〜1971年頃ってことです。
 で、ここで言う「漫画家」なんですがナンセンス漫画の流れと少年・少女漫画の流れはちょっと異なってると考えてるんで、少年漫画の方のことです。


 文庫に限定して言えば、漫画家が挿絵を描いたのは1971年9月が初版の

 で、松本零士が表紙、挿絵を担当したのが嚆矢かと。

 大宇宙の魔女 表紙 大宇宙の魔女 口絵


 それ以前だとサンヤングシリーズ(これはハードカバーでした)で、黒ひげ大将@相良俊輔の表紙と挿絵を関谷ひさしが描いたのが1969年6月に発売されています。
 (サンヤングシリーズ第一弾の表紙と挿画は祐天寺三郎ですが、ナンセンス漫画の系譜なのでちょっと違う)



 で、はてなキーワードあたりで元祖ってことになってるコバルト文庫ソノラマ文庫はどうだったの、って話になるんですが、初期は意外にも漫画家による挿絵って無かったりするんですよねえ。
 で、その頃(1970年代中盤)にはハヤカワの方が挿絵が無くなって、表紙は萩尾望都とか漫画家が描いてても挿絵が無かったり、とか断絶があるかなあ、とか。
 


#この後の話はもっとライトノベルに詳しい方がまとめて下さってるでしょうから、ここまでです。


*1:これよりも前のページでは特に傍点など無しに使われてます 超革中 文庫版P82が、ここのみ傍点

*2:このISBNは再販時に与えられたもの