立原あゆみデビュー40周年記念イベントセルフ参加記事第二弾。
今現在でも女性だと勘違いしてる人がいるようなんですが、立原あゆみは男性です。
では、1970年のデビュー後、何時ごろ男性だと明かされたのか。
答え
1979年だと考えられます。
何故なら、こういうやりとりが残っています。
――男性だったのですか?
ははは……はっ?
1979年5月15日初版のケイブンシャ大百科シリーズ No.38「まんが家入門大百科」に掲載されていた「まんが家名鑑」のショートインタビューより。
それまでは基本的にコメントや自画像を含め、各社の担当さんを巻き込んだ壮大な企てをもって性別不詳、いや、「女性」であると誤解を促すようなものが多かったのですが、これ以降は隠すことなく男性である、と公開しているようです。
この「まんが家入門大百科」は、すがやみつるによるイラスト解説や、漫画家へのインタビュー*1など、他では読めないネタも色々あるので、探して読んでみると面白いかもしれません。
何故この時期だったのか
主に二つの理由があったのではないかと推測しています。
- ファンクラブ「回転木馬」が設立されたこと
- お子さんが生まれたこと
この辺は、以降のコメントや記事などからの推理、に近いものになってしまいます。
一つ目、ファンクラブ「回転木馬」の結成とその活動(会誌「麦」の発行やファンの集いなど)を通じ、直接読者と接する事が多くなったため、隠す意味が無くなったのではないか。
二つ目は、この後の作品にも色々出てくる二人の男の子に関する話を描き始めた事から、子育てに専念するために引退するのでは、等という誤解を避ける、という意味があったのでは無いかと。(雑誌のコメントなどでも、幼稚園に連れて行く等、お子さん関連のものが増える。1983年には小学校への入学報告も行っている)
誤解はされ続けている。今も。
とはいえ、一度ついてしまったイメージを払拭するのには苦労が伴うようで、女性と誤解されることは多かったみたいです。
現在でも(具体例は出しませんが)「立原あゆみが男性だと知ってびっくり」とか「今の今まで女性だと思っていた」という方がいらしゃったりします。
しかし、(数少ないとはいえ)機会を見つけては男性である、とおっしゃってた形跡は見て取れるんです。
こちらは1982年の「ぱふ」漫画家リレー・インタビューでの受け答え。
――ペンネームのせいで、立原さんが女性だと思われたことがよくあったんじゃないですか?
立原:そうですね、男だとわかってきたのはこの頃ではないですか
そして、1988年、週刊少年チャンピオンの目次ページ「今週のうわさの男」でのコメントが決定的なのではないかと。
いつも「本気!」に熱い応援ありがとうございます。
さて…、あらためてお話するモンじゃないんですが、私、立原あゆみは“男”です。多くの読者が私を女性だと思っているようですし、私もあえてはっきりさせませんでした。
目次コメント用の似顔絵は今でも「あゆみネコ」が基本ですが、これ以降(といってもあんまり機会がないけど)は自画像としては「喰人」の主人公でもあるこういうキャラクターとして描かれています。
「ひとみ」1981年3月号以降、「猫」もしくは「ぬいぐるみの猫」としてコメントしてた*2時期もありましたが、チャンピオンでの連載開始以降、少年・青年誌では普通にコメントしてる事が多いのです。
そろそろ、誤解が無くなってもいいんじゃあないのかなあ、ホント。
顔写真は?
基本的に、立原あゆみは顔写真NGのようです。
「東京」映画化時に的場浩二と対談したときの写真でも「手だけ」が写っていました。
写真が掲載されているのは、私の確認した範囲では以下の通りなのですが、どれも確認しづらいものです。
- 週刊マーガレット漫画賞の授賞式の写真
- モノクロ印刷のため、網点でよくわからない
- 絵本「フランダースの犬」奥付ページ
- 顔が写っているものの写真自体小さい
- 原作を担当した「オレは力だ!」単行本偶数巻(2,4,6,8,10巻)のカバー折り返し著者近影
- ただし、赤ちゃんのとき、七五三、学生時代など、何れも当時のリアルタイム写真ではない
- 単行本「森のイルカ」のカバー折り返し著者近影
- サンタクロースコスチュームで、付け髭装着のためはっきりと顔がわからない
とはいえ、女性としての写真は発表されていない・・・はずなので、男性である、という事に対する反証は出てこないんじゃあないかなあ、と思っております。
ペンネームの由来
こちらは、名前的には女性名であるのは仕方ないかなあ、という話です。
詩人の立原道造が好きで、悲恋に終わったその恋人の名、あゆ...にちなんで、両方を結びつけた名前を考えました。
1983年に刊行された絵本「フランダースの犬」の奥付ページのコメントで上記のように明らかにされていますが、夭折の詩人(にして建築家にして・・・と多才な人であった)「立原道造」が由来なんだそうです。
「鮎の歌」という連作がありまして、そこで「鮎」は少女であることが、女性作家であるという誤解を助長する一因となっていたかもしれませんね。