善悪で言えば間違いなく悪。
責任が誰にあるかといわれれば、漫画家と編集と両方だけど、7:3で漫画家が悪い。
という前提条件で以下の文を書きます。
「漫画家と編集者は漫画家の描いたネームを完成作品のように読む能力がある」ってなことを島本和彦が書いてました。
最近は読者もその能力を持つようになってきたみたいだし、もう無理な人はそれでいいんじゃないんですかねー。
ただ、完成状態のその作家の絵を見慣れてるから想像で補完できるのであって、常に未完成とかじゃどうしようもないんですよね。
そこからどう仕上げるかを予想して、完成品と見比べて楽しむ、なんていいじゃないですか。風流で。
でもね、雑誌で未完成だったものを、単行本だけでしか完成状態を出さないってのはナメきってますね。
未完成の商品売ったんなら次号・次々号でいいんでその分を載せてくれないと納得いかないですね。
未完成の時にすでに払ってあるんですから、ページ数が増えてもその分は価格に反映しちゃ駄目ですよ、もちろん。
原稿料がもう一回出はしないけど、客は2重払いするなんてそりゃおかしいでしょ。
編集のミスで誤植・ページ抜け・一回飛ばしとかやったら再掲載するじゃないですか。
それと同じことをすれば良いだけでしょ?何の問題があるんですか。
印刷代がかかる?ならそもそも下書きを載せなきゃよかったですよね、ということです。
あと、月刊連載で、前号落ちてその言い訳に「ギリギリまで健闘しましたが・・・」なんて書いておいて次に載った時に下書き未完成部分があるなんてのは、もう一寸言い訳の仕方を考えた方が良いんじゃないかな、とは思いますね。
2回分の時間で1回分を完成できないのに、どのへんでギリギリまで健闘したんでしょうか。
#ここで疑問が一つ。下書きでも原稿料って出るんだろうか?