情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

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漫画、あるいは小説、もしくはエッセイなどの
印象、あるいは連想、もしくは感想を書いてるBlog。

谷岡ヤスジが編集者からどうやって逃げたか、という話


 問:締め切りに追われた谷岡ヤスジは編集者からどうやって逃げたか




 答:二階の窓から屋根づたいに逃げた




 谷岡ヤスジのメッタメタガキ道講座 -通常版- [DVD]


 冗談みたいな話だが、本当らしい。
 そして、驚くべき事に、とある回の原稿はちゃんと雑誌掲載に間に合ったそうだ。


 しかし、この当時の仕事量ってのがまずすごい。


 谷岡ヤスジは、ただただこの称賛の笑いを得たいために、命がけで七転八倒している漫画家なのである。
 そして、仕事場の二階の窓から屋根をつたって編集者から逃げるという得意技の持ち主でもあった。


 最盛期、週刊、月刊あわせて月に連載三十本、月産三百五十枚ということになると、いかに天才ヤスジでも口まで水が来ている。



 谷岡ヤスジの作風じゃあ、アシスタントとかあったもんじゃあないだろうに。


 内山亜紀が、アシスタント無しで月産160Pだったとか(参考>1982年頃のロリコンブームについて、米沢嘉博と内山亜紀へのインタビュー)、富永一郎が最大時月産200枚だったとかいう証言なんかもあるけど、これまたとんでもない数字ですな。



 編集者Aは、いつまでも二階からおりてこない漫画家を待ってイライラしていた。締め切りはとっくに過ぎている。二階の漫画家からは音沙汰が無い。
 とうとうシビレを切らして、Aは怪談をあがった。
「谷岡さん、先生・・・・・・」
 ふすまの外から声をかけた。返事がない。怪しい。Aはふすまを開けた。いない。狭い四畳半の仕事場に漫画家はいない。
 ややっと思うと、窓が開いている。駆け寄ってみると、夜の闇の中に、屋根づたいに逃げてゆく漫画家の姿が見えたのだ。


(中略)


 編集者Aha、泣く泣く気を取り直して編集部へ電話を入れる。
「モシモシ、いま谷岡が逃げました・・・・・・」


(中略)


 日本漫画史上に燦然と残るようなみごとな通信を最後に、編集者Aから編集部への連絡はぷっつりと切れた。通信は途絶えた。待つこと二時間。印刷所をなだめすかして待つこと二時間。
 依然として谷岡は行方不明か、もうAは死んだか、と思ったところ、編集部の電話のベルが鳴った。
「モシモーシ、モシモシッ。谷岡の原稿があがりましたッ!間に合いますかッ!」



 今だと携帯電話やらなんやらあるけど、当時だと即時連絡手段なんてものもなく。
 近所に住んでる人はどう思ったんだろうか。


 戻ってきて描き上げるまで2時間ってのもものすごいんですけどね。



 屋根から帰ってきて原稿を仕上げるからエライ。そうなると逆に怒れない。むしろ信頼感が増すから不思議な世界だった。


 ジャイアンが良い事するとすげーいいやつに見えるギャップ理論と言うかなんというか。
 落とした回もあったろうけど、こうやって成功した回で打ち消されるのかもしれん。
 手塚治虫のワガママエピソードなんかもこんな感じだろうか。



 谷岡ヤスジは、1999年に死去。
 あのトンデモなさは、今でも独自の地位にあり、ある意味孤高の人であったと言えるのかも。


 ヤスジのメッタメタガキ道講座―もうひとつの「少年マガジン黄金時代」 ド忠犬ハジ公 (シリーズ昭和の名作マンガ)


 上記引用は、山本和夫「漫画家 この素晴らしき人たち」より。


 


このエピソードが掲載されていた本



漫画家―この素晴らしき人たち
漫画家―この素晴らしき人たち

 ちまちま読んでます。
 といったところで今回はここまで。