ちょっと前にtwitterで落語漫画とかの話題が出てたんで引っ張り出してきた。
手塚治虫が、のらくろの解説で書いた文章にこんな記述がありました。
田河タッチのもう一つの魅力、構成のロマンシチズムについては、その主人公のいずれもが、一種のアウトサイダーである点が重要な役割を果たしている。
(中略)
田河タッチの大きな要素の一つにギャグの素晴らしさがある。これは全く作者が落語台本を書いていたと言う実績によるものであろう。
(中略)
田河漫画はギャグの洪水である。
立川談志さんがぼくに、「手塚さんの漫画は実に落語的なサゲが多いが、かなり研究したのですか」と訊かれて、ぼくはハタと手をうち、「ぼくのギャグは田河水泡さんの影響でして・・・・・・」と改めて驚いたことがある。
田河水泡の落語台本経歴で有名なものでは「猫と金魚」などですね。現在でも多く演じられる様な噺です。
のらくろを読んでみると、落語的な地口落ちなんかもあったりして、この指摘にはなるほど、というのも。
手塚治虫の短編ってものすごく数が多くて、一話完結、短い話でもサゲ、落ちをつけるという技術というか手法について言えば、なるほど、落語の影響といわれるとそういう話も多々あります。
もちろんこの解説よりも後に描かれた「ブラック・ジャク」などでもその力量を見せ付けてくれます。
というか、「サゲ」について意識して読むと「死への一時間「六等星」なんかは「とたん落ち」だし、「約束」は「まわり落ち」かな。
そして、これを指摘したのが立川談志だというのが面白い。
立川談志は手塚治虫と親交も深く、大ファンである、と公言しています。
なるほど、こういう会話をする位だったんだな、と。
また、手塚治虫は立川談志が落語協会の分裂騒動後、1983年の立川流立ち上げ時には顧問として名を連ねています。
漫画に限らず、小説やドラマでも、一話完結型で落ち・サゲをつけようとすると落語の影響ってやっぱり大きくなるのかなるのかもしれません。
桂枝雀の落語のサゲ分類では「ドンデン」「謎解き」「へん」「あわせ」となっていまして、短編を読むときになるほどこれか、と思う場合も。
手塚治虫の影響を受けている漫画家・作家さんにもこの流れは引き継がれていっているのでしょう。
そうだといいなあ。
しかし、のらくろって今新品では手に入らないんですよね。
講談社はオンデマンドでもなんでもいいから復刊すればいいのに。
上記手塚治虫の文章には
のらくろの顔は、おそらくあと百年余、われわれ漫画家の誇りと活力のシンボルになるにちがいない。
ってあるんですけどねえ・・・。
といった所で今回はここまで。