GW中に読んだ小説に、こんな一節がありました。
何より不気味だったのは、コンビニエンス・ストアのローソンの前を通ったときだった。閉まっているのを見たことがなかったのだ。
この種の店はつねにかならず明かりがついていて、ドアに鍵がかかっていることはない。だが、ここのローソンは暗く、誰もおらず、日曜日のダンス・クラブのようにうらぶれて見えた。
ドアの上にある“ローソン”の看板の明かりさえ消えているのだ。
スティーヴン・L・ケント「共和国の戦士2 星間大戦勃発」*1 P250より。
明かりの消えた、看板に照明の入ってないコンビニは現在の日本における日常的な風景になりつつありますが、やはり違和感を覚えるものでしょう。
しかし、震災前に読んでいたならば、多分普通にスルーしていた一文です、これ。
作者はそういう状況をどっかで見た事あったのかなあ。
で印象に残っている話として「編集長の仕事は面白いものを面白い、と言うこと」「そして、それはその時の本人次第で変化する」「故に、3.11以降の誌面に変化が出る可能性はもちろんある」というものがあります。
作家、編集者、読者それぞれが変化する、あたりまえの事なんですが、こういうのってずっと後になって見返したときに分かるものだとも思います。
ある種の共通体験に根ざした変化と、個人個人の変化とは明確に区別されず、かといっていきなりはっきりと現れもせず。
それが「流れ」と呼ばれたり観測されるものなのかもしれません。
作品は変化しないけど、読む側の状態によって受け取り方や気になる場所は変化するのは当然なんですが、引っかかりどころは、個々人の体験にも大きく左右されるということでしょう。
このGWで東京に行ってきたのですが、エスカレーターの止まった駅、照明が間引きされた店や施設など、日常が変化している風景を色々と見ました。また逆に、まったく今までどおりの場合も。
そのちぐはぐさを見た自分が、今後何かを見たり読んだりした時に感じる事は変化していくのです。
変わらないものがあるとすれば、逆にそれを知りたいものです。
・・・おっぱいの大きさの好みとかどうでしょう?
にしても、設定上はかなりの遠未来なのに「ローソン」はあるんですな。
*1:奥付発行日は2011/02/15。発売日はもう少し前で2/4くらい