念波観音力!(挨拶)
今巻でマンサン女犯坊も最終巻ということで、なんとも極厚、292P*1もあります。
帯の惹句を見てみると
完全燃焼か!?
責任放棄か!?
ラスト3ページに込められた作者渾身のメッセージを受け止めろ!
帯の裏表紙側、これネタバレになっちゃう気もしますが、実際に読まないと意味は分からないでしょう。
ふくしまは満足し切った表情で担当編集に原稿を差し出した。
「俺が『女犯坊』で描きたかったメッセージは、
ラスト3ページにすべて詰め込んだ!
描き切った!
とにかく読んでくれ!!」
そしてこれが、たしかにすんごいのですよ。
でも、そこに至るまでの展開もまた、どうやったらこういう発想とキャラクターが出てくるのかわかんない。
納得できるのもあるんですよ、曼荼羅と建物、とか。
でも以前雑誌掲載記録まとめた時(http://d.hatena.ne.jp/soorce/20090401/p1)にも出したメタル竜水ことお大師様とか、何でこういう発想が出たんだか。
感想とか
ここから先は本編を読んだ方向けの話になるので色を反転します。
最終3ページに至る描写で重ねられていく破壊と再生のイメージから私が連想した作品は、AKIRA@大友克洋とスターメイカー@オラフ・ステープルドンの2作。
特にAKIRAの放射状に広がる情報と意識と生命のイメージ。そして、形態を変えながらも続く生命とその力。
最終ページの、精子が中心(一見、卵子のようにも描かれている何か)に向かうのではなく外側へ開放されていくイメージは変化と誕生の両方を意味しているのではないかとも思えます。
ここに繋がる過程として描かれた、弥勒の口から光線(?)が出てる所の描き文字が「シャカー」なのは、音として「釈迦」と発しているのか、擬音なのか。
両方を掛け合わせてこうなっているともとれて、竜水(煩悩)と弥勒(悟り)の交接によって生じたエネルギーが天に向かい、どちらだけでもない「生命」として人間がある様を示しているのではないでしょうか。
とすれば、滝沢解とふくしま正美がエロトピア版で描いた思想が、現在まで繋がっていると見るのが自然なのかもしれません。
♪偉い修行した坊主さえ 木魚の割れ目で思い出す 浮世離れた尼でさえ バナナの皮むきゃ思い出す
てな春歌もあるように、女犯は生命の連鎖であり、それを捨て去らなければ得られない「悟り」になんの意味があろうか、と。
ただ、そんな言葉で小器用に纏めようとしてみても、ふくしま劇画のエネルギーの前には殆ど意味をなさないかもしれません。
もういいからとにかく読まなきゃ、見なきゃわからない世界です。はい。
そうそう、「アマゾネス女子刑務所」は流石に直ってました。
→
といったところで今生はここまで。
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*1:表紙から裏表紙までのカウント