今から三十年前の「ぱふ」」1982年7月号の『漫画家 WHO'S WHO」に掲載されていたインタビューより。
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」は、1976年の連載開始以来、現在までたった一度も休載していないという驚くべき作品。
単行本は現在180巻まで出ています。
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このインタビューは、ジャンプで一番長い連載となった*1時期のものですが、この頃からキッチリやっていたからこそ、現在まで続いているのだと思わせてくれます。
真似できるかどうかは別として、考え方・行動方針として示唆を与えてくれます。
仕事のペースと、担当者と。
継続する仕事術、ってよりも、作家術かもしれない。
――:週刊連載の仕事のサイクルは?
秋本:月・火・水の三日間で前回のペン入れが終わって、木・金・土・日の四日間でネームを一本、いや、木・金あたりがネームかな。
そして土・日が休み。土・日はなるべく休むようにしてるんです。でも月刊とか、読切とかが入ってくるとそうもいかないけど、なるべくそんなペースで。
荒木飛呂彦などもインタビューで週刊での仕事ペースを語ってましたが、同じように週休二日体制だったかと。
休載なしでこなすには、こうやって余裕を持てるペースを持続することが重要なんでしょう。
これ以降のインタビューやなんかでも、安定した仕事とスタジオ体制については色々と語られていますが、本当にすごい。
――:しめ切りは守る方ですか?
秋本:しめ切りだけは割と守る主義なので。予定を立て、きちんと。風邪をひいたりして2・3日寝込んでもいいように、早め早めにやってます。
ギリギリでネームなんかやってるとギャグがあまり出てこなかったりするからね。好きで入った道だからキチンキチンと仕事を上げていきたいしね。
そうして余裕が有ればバイクに乗ったり、プラモを作ったり、映画を観たり。充電の余裕がね、またいいものを描く。
しめ切りを守ることによって拡大生産ね。あ、うちは夜10時におしまいにしてます。朝も10時から。
漫画家さんには夜型の方も多いといいますが、朝方というか昼型ですね。
他社で多く仕事をしてる漫画家ですが、立原あゆみも朝7時に起きて昼型の仕事している、と書いていました。
多作の作家さんほど、体に負荷をかけない仕事方法を確立していくのかも。
好きで入った道だからキチンキチンと仕事を上げていきたいしね。
充電の余裕がね、またいいものを描く。しめ切りを守ることによって拡大生産ね。
この言葉はすごい。いや、こういう考えだからこそ長く続けられるのかもしれませんが、綱渡りとか下書き掲載とかこれなら無いわ。
まとめると
- 無理をせず休めるペースに仕事をまとめる
- 締め切りを守り、そのために余裕をあらかじめ作っておく
- 「好き」と「仕事」を両立させる為の努力を惜しまない
- 余裕を生かして趣味を楽しみ、それを仕事にフィードバックする
といった所でしょうか。
・・・やっぱり超人じゃねーの。
――:健康的ですね。
秋本:健康的でしょう。こう云うスケジュールの立て方は担当さんに教えてもらったんですよ。デビュー前頃に。
担当者さんは集英社の全編集者を指導して、作家にそのメソッドを伝えるべきだったと思うんだ。
無理だろうけど、いやそれでも、いやしかし。
――:担当さんとは?
秋本:担当の堀内さんとはデビューするずっと前から見ててもらって、6、7年の付き合いだから、最近ではお互いの雰囲気で、目を見れば解るから、打ち合わせとか、そう云う感じじゃなくて。
順調にいってますよ。ネームに詰まると云うことも無くなってきたし・・・。前は一本一本言い争いをやったくらいなんだけど。
――:バイクに乗ってるとケガ等して危いからと、編集の方で止められなかった?
秋本:うちは放任主義だから。自由にやってた方がいいみたい。逆に押さえつけられてもやっぱり乗っちゃうし。
最近いろいろなマンガ家の人もバイクに乗るけど、みんなわきまえて乗ってるよ。そんなに心配いらないみたいだよ。
バイクの話題をマンガの中に入れたり、本田みたいなキャラクターが出てきたり、いろんなプラスがあるよ。実際マンガと結びついたしね。
この発言からすると、やっぱり担当と作家の相性問題もあるのかなあ・・・。
メソッドがあってもそれが全ての人に有効とは限らないんだし。
鳥山明もバイク好きで乗ってたらしいですから、その辺は作家の自主性でしょうね。
読者との距離と作品
ネタのマニアックさについて、このように述べられています。
――:背景や小道具が趣味に走ってて面白いですね。バイクとかモデルガンとか。
秋本:共通する人だけ読んでくれればうれしいってところが有るんですよね。若干。だからマイナーに走りがちだけど、昔に比べるとモデルガンなんかも、だんだんメジャーになってるでしょ。そこんところをねらってね。
いつもは10人の人にうけるように、ってやってるけど、月に一度ぐらいは1人がいればってことで。でもそれを続けちゃうとヤバイんですよ。
話のマニアックさのバランス感覚という点では、冒険する回とそうでない回が当時は1:3くらいってことですかね。
とはいえ、こち亀読者層の広さもあり、そういう回でもわかる人はちゃんといる、という考えなんですね。
読者層についての回答もあり
――:連載が長く続いた秘訣は?
秋本:最初は地味な下町のおまわりさんって感じで、ただ本人のキャラクターでどこまで動くかって感じでやってたけど、今は全然変わってるから。それと、ファン層が広いみたいなんですよ、アンケートなんかでみると。お父さんとかお母さんも読んでくれるってのが多いから結構長く続いたんでしょう。
――:ファンレターは?
秋本:編集部の方からまとめてもらいます。結構上の年齢からも来ますね。
ここからさらに三十年経ってるわけで、今では三代にわたる読者ってのもありえなくもない話かと思います。
ひょっとすると、四代かも?
――:ノスタルジックなネタを時々使うから?
秋本:そうですね。ぼく自身がそう云うの好きだから、どんどん盛り込んじゃうんですよ。それが上の年齢の人だとなつかしいなって感じでね。
この辺は「男はつらいよ」なんかとも通じると思うんですけど、逆に「こち亀」で知った、って人も今や多いんじゃあないかと思います。
そういう意味でも、初期のノスタルジックは今や歴史にもなっているというね。
こち亀以外について
80年代には、月刊少年ジャンプなどで連作を結構描いてたので、その辺に通じる話。
――:これから描いてみたいというジャンルはやはりバイクもの?
秋本:そうですね、本格的なバイクものを、今バイクマンガ多いけど、レースものなんかやってみたいなァ。あと白バイにも興味がある。カッコイイでしょ。ハードでシリアスな白バイものも描きたい。他にはコミカルなアクションもの、もともとぼくはアクションものが好きだから。
これは多分「白バイファイター 夢之丞変化」と「Mr.クリス」になったんじゃあないかと思います。
読んでる漫画についての回答は、さいとう・たかをと、やっぱり「COM」「マガジン」「キング」などですね。
――:よく読むマンガは?
秋本:さいとう・たかをさんがすきなんですよね。さいとうさん見てあこがれ、まんが家になったみたいなものだから。あと、矢代まさこさんとか、樹村みのりさんとか、ちばてつやさんとか、かざま鋭二さんとか、松森正さんとか・・・。アクションものなら今だに望月三起也さんが一番ですね。
マニア的な読み方について
――:最後にぱふの読者に一言。
秋本:ぱふの読者ってマニアが多いんですか?女の子が多いんですか?どういう層なのかな(しばらくぱふのバックナンバーを読んで)うーん、なんて云うか、まんがを分析されるでしょ、これはどうだとか。
まんがと云うのはさ、単純に読んで「ああ面白かった」でポイと捨ててくれた方がさ・・・。
あの人の作品はこうだとか、ホント、小説みたいな感じで・・・。
もっとラフな感じで読んでもらった方がいい感じなのに・・・。
なんかキンチョーしちゃうんだよね、描いてて。んで、まあ、よろしくおねがいします。
1982年当時には、週刊少年ジャンプは300万部を超え、少年漫画誌のみならず、全ての雑誌の中で最大の発行部数記録を記録しようと突き進んでいた時代。
そういう意味では色々な読み方をする読者が居ただろう、とも言えますが、「男の子」読者が多い雑誌だったのは確かなのかな。
まんがと云うのはさ、単純に読んで「ああ面白かった」でポイと捨ててくれた方がさ・・・。
ってのは、私もあんまりどうこういえない所ですが、そう、それでいいじゃんってのはあります。
参考記事>○○好きというのは、過去じゃなくて未来に属している。あるいは、缶チューハイを飲むように漫画を語る。
まあ「ぱふ」読者は違ったかもしれませんね。
参考記事>約30年前の「まんがマニア」によるベスト漫画家、ベスト・ワースト作品投票結果(だっくす 1978年12月号より)
といった所で今回はここまで。
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*1:「悪たれ巨人」が終わった1980年時点から2012年現在までずっと、ですけど