情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

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「時計じかけのオレンジ」第21章(第三部第七章)は1980年には邦訳されてた、という話の証拠

 現在、「時計じかけのオレンジ」第21章(第三部第七章)は日本語訳されていたのかどうかで「されていた」という主張をしております。


 参考記事
 『時計じかけのオレンジ』幻の最終章 - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)
 時計じかけのオレンジ 第21章翻訳(削除済)


 「時計じかけのオレンジ」第21章(第三部第七章)に関する上記の愛・蔵太さんの記事を読んで反射的にコメント付けちゃったんですが、そりゃ鵜呑みには出来ませんわな。
 つーわけでこんな風にコメント欄で書いたこと↓が本当だって言う証拠を一応出しとこうかな、と。


# soorce 『日本語翻訳版でも、アントニイ・バージェス選集版(2巻)の「時計じかけのオレンジ」には最終章入ってますよ。
だから1980年の時点で日本語訳されて出版もされてます。今は絶版で入手困難かも知れませんが。
最終章が割愛されてるのは文庫版ですが、そっちがいつまでも改版されてないのは、「映画原作」だからなのかもしれません。』 (2007/01/03 23:44)


# lovelovedog 『なるほど。どうもありがとうございます。ウィキペディアの記述は、「アントニイ・バージェス選集版(2巻)」を確認したら、ちょっと直してみようかな』 (2007/01/04 00:16)


 フォト蔵使用。サイズはそのまま。


 表紙はこんなん。と、カバー見返しのコメント。
 時計じかけのオレンジ 選集版 表紙 時計じかけのオレンジ 選集版 カバー見返し


 奥付。
 時計じかけのオレンジ 選集版 奥付


 第三部六章の最後と七章の冒頭部。
 時計じかけのオレンジ 選集版 第三部六章末と七章開始部
 時計じかけのオレンジ 選集版 第三部七章開始部拡大


 訳者あとがきから抜粋。抜粋箇所の最初の部分の画像。
 時計じかけのオレンジ 選集版 訳者あとがき(部分)


 この小説が一部二部三部にわけられていることはごらんのとおりであるが、その第一部と第二部はそれぞれ七つの章から成り立っている。問題なのは第三部である。一九六二年の英国版初版にはこの第三部も七つの章になっているのだが、その後に出た版になるといずれも最終章の第七章が削除されている。最も新しい版と思われるペンギン・ブックス*1の一九七七年版にもこの最終第七章は無い。


 どういう事情からこの最後の章がはぶかれたのかは不明だが、その章があるのは初版だけであって、あとの版にはないとなると、当然作者側と出版社側との間に削除についての合意があったとしか考えられない。出版社が勝手に削除して出版するわけがない。以上のような解釈から訳者は一九七一年(昭和四十六年)に翻訳出版の際第三部の第七章がはぶかれているものをテキストとして翻訳し、その旨を断っておいた。また、一九七七年(昭和五十二年)初版発行のNV文庫版でも同様にしておいた。


 ところがその後早川書房編集部で一九七四年のPlayBoy誌上にバージェスのインタビュー記事が出ているのを発見。訳者もそれを見せてもらったが、その中にはもちろんバージェスの著作中でのベストセラー『時計じかけのオレンジ』のことに触れた部分があった。それによるとバージェスはキューブリック監督によって映画化された『時計じかけのオレンジ』には数々の不満があるというのだ。特に結末の部分がいけないという。キューブリック監督は原作の最後の章を読んでいないんじゃないか、とあった。なぜかというと、最後の章では主人公の若いアレックスは成長し、暴力を時間の浪費だったと反省するようになり、結婚して子供をもうけ、作曲家になろうと考えるようになる。ところが映画では暴力はまたまたくり返されるような暗い印象になっている。これは作者の意図ではないというのである。その理由としてバージェスは、自分はカトリック教徒として育てられたからだという。カトリックでは人間について楽観的な考えを持つように訓練される、というのは人間は生まれつき悪の状態にあるものだというふうに教えられるからだ。つまりわれわれ人間はもうそれ以下に落ちることは無く、上へと昇るだけなのだ、というのである。


 それでは、なぜバージェスはその考えを盛った大切な最後の章を削除した本の発行を許しているのか、そこが疑問になってくる。以上のような考えであれば第三部の第七章は絶対になくてはならないものということになるのだが、実際はその反対となっていて、いっていることと現実が矛盾する。
 なぜこうなっているのか理由不明のまま、翻訳の初版では問題の第三部第七章をはぶいたままにしておいたが、バージェスのインタビュー記事を見るにおよんでは、やはり加えておくべきものと考えられるので、この選集発行に際してあらためてこの最後の章を訳して加えて参考とした次第である。しかしこの小説に最後の章があった方がいいかどうかは読む人の考え方次第であろう。

 アントニイ・バージェス選集2 『時計じかけのオレンジ』(乾信一郎訳)(ISBN:4152002026) 訳者あとがき P259〜P260より。
 太字強調、ネタバレ部分の色反転はsoorceによる。



 というわけで、1980年には「時計じかけのオレンジ」第21章(第三部第七章)は日本語訳されていた、というのが相変わらず私の結論です。



 そもそも、翻訳公開してる人の所に今までツッコミ入れた人が居ないまま4年も経ってることが問題なんでしょうかね。
 公開されてたアドレスには一応メール送っておきましたけど、最終更新が3年前だしなあ・・・。







#もちろん、上の画像がすべてフォトショップなどを駆使して作成された捏造画像って可能性も存在しますけどね。


*1:soorce註:イギリスの出版社