さて、まずはコメントなどへのお返事。
1980年代当時に言われていた『ロリコン』と、今言われてる『萌え』ってのは同じものか違うものか、と問われますと、私見では「違うもの」です。
ただ、現在の定義において『萌え』はその範囲が広くなりすぎ、当時の『ロリコン』をもまた内包してしまっている、という意味での「違うもの」なのではないかと。
私個人の考えではありますが、「萌え」というのは「愛でる感情の発露」の包括的形容で、接頭語としての萌え(萌え属性、萌え戦車、など)、接尾語としての萌え(メイド萌え、猫耳萌え、など)、等々広範囲に使われる場合にはまた別の性格を帯びるもの、ではないかと思ってまして、それに比べると当時の「ロリコン」は「二次元美少女萌え」、「キャラ萌え」、「幼女萌え」からあまり大きく逸脱していなかったのではないかと。>id:elenさん。
今回の記事の前後関係ですが、1970〜80年代の関連記事を多く纏めてらっしゃる
早坂未紀の世界 さん:http://azicon1.at.infoseek.co.jp/index.htm の
1980年代の資料 :http://azicon1.at.infoseek.co.jp/1980S.htm
を参照していただくと、より分かりやすいのではないかと。
以下、引用は徳間書店アニメージュ1982年5月号(4月10日発売)より。画像は別ウィンドウで拡大表示(フォト蔵を使用)
開いた先で「元画像」をクリックするとさらに大きい画像が開くはずです。
ここまで来た『ロリコン』ブーム。その最前線を追う!
男性アニメファンは、みんなロリコン!? というぐらい、ロリコンはいまアニメファンのあいだにまん延している。ところで、ロリコンって、そもそもなんなのだろう。もう一度、そのブームの原点にかえって、考えてみた小特集。内山亜紀氏にもインタビュー!
「ビョーキ」って言い方もこの頃までかなあ。「おたく」「オタク」がそれを駆逐する前。
①『ロリコン』にいま一番くわしい人、米沢嘉博氏に聞く「いま、なぜ『ロリコン』なのか!?」
『OUT』80年12月号に掲載された「病気の人のためのマンガ考現学・第1回・ロリータコンプレックス」*1という記事が“ロリコン”とういことばをアニメファンに広く知らせるきっかけになったといわれる。それを書いた人−−−米沢氏はまた、同人誌がたくさん集まるコミック・マーケット準備会の責任者でもある。彼にアニメファンにおけるロリコンブームのはじまりから現在までを聞いてみた。
AM コミケットに出品されるロリコン・ファンジン(同人誌)は、どのぐらいの数になりますか?
米沢 全体数700ぐらい*2のうち30ぐらいでしょうか。以前に比べるとかなりふえてきましたが、そろそろ頭打ち状態にあるようです。
AM 『GORO』や『NON・NO』といった雑誌までがロリコン特集を組むようになってきましたね。
米沢 それだけ“ロリコン”ということばがオープンにいえるようになってきたということでしょう。その傾向は、70年代に入って、南沙織や山口百恵のような歌手があらわれて、かわいい女の子がきわどい歌詞を歌うというようなことが、おかしくなくなったという社会的背景が出てきて、かなりすすんだ。つまり、ロリコンということばそのものに、むかしほどの暗いイメージがなくなってきた。
AM それが、アニメファンのあいだに入ってくるきっかけが、『カリオストロの城』のクラリスの異常人気からですね。
米沢 そうです。『クラリスマガジン』というもう有名になってしまった同人誌あたりから、いまのブームがはじまったわけです。それ以前の流れでいうと、まず女の子を中心とした美少年ブームがはじまり、パロディを中心としたものがその後主流となり、さらに男の子を中心にしたロリコンブームへとつづくわけです。このアニメのロリコンを簡単に説明すると、アニメの美少女キャラを題材にした男の子の遊び、ということですね。
AM ただ、クラリスとアンジェでは、まったくキャラの性格がちがうのに、かわいいからということで、ロリコンとしてまとめられてしまう。
米沢 結局、最後は個人の好き嫌いによる個人差がかなり出てしまったということで、アニメのロリコンの定義ははっきりしていません。
AM ところで、同人誌の“遊び”の内容がかなりすごい。クラリスやラナのヌードやレズシーンもある。
米沢 はじめはパロディとしてクラリスのヌードをのせていたりしたのが、多分に“エロ劇画”の影響をうけてはげしい表現になっていった。なぜならば、単純なパロディではすぐあきられてしまうから。それで、まじめにパロディとして成立するものはなにか、と考えたときに、かなり激しい内容のロリコン同人誌にエスカレートしていった。結局、アニメやマンガの美少女キャラがいちばん手ごろな題材だったのでしょう。
AM いまやロリコンをこえて“二次元コンプレックス”つまり、絵にかかれた美少女しか愛せない、という人も多くいるとか。
米沢 ええ。マンガやアニメのエロチックなシーンがすきだったり、少年マンガや少女マンガの女の子をかわいいと思ったりするのは、特別おかしいことじゃないですよね。ただそれだけにじかに魅力を感じないというのはどうでしょうか。むしろ、パロディをやりやすい対象として、アニメやマンガの美少女キャラがあると考えた方がいい。それがこれだけのブームを生んだ原因でしょう。ただし、このブームも、コミケットでは、ことしの夏ぐらいまでにはかなりおちついてくると思います。さすがにこれだけ同人誌がふえると、あきられてくるんでしょう。
と、まあ、この時点では米沢氏もすぐに終焉を迎えると予想しておられたわけです。
しかし実際の所、コミックマーケット自体の拡大と共に、そういう同人誌を領布するサークルは増え続け、その勢いが衰えることは無かったのです。あの事件までは。
※
そんな米沢氏の発言をうけてのぞいてみたコミケット20(3月21日・東京・晴海で開催)だが、ロリコン同人誌も相変わらずの盛況で『六神合体ゴッドマーズ』関係のファンジンとともに、とくに目立って多かった。女装をする男性もいて、かなり“ビョーキ”の根は深いのでは、とされ思われる。
「かつてのようなわりにまじめな作品研究を中心とする同人誌がほとんど姿を消したのは悲しいですね。『ヤマト』や『ガンダム』のファンクラブが、みんなロリコン主流になってしまったのは、時代がちがうんだなあ、という感じでした」
と語るのはコミケットではもう古参のサークルの会員Nくん。米沢氏の予言のように、もしこの夏ロリコンブームが終わったら、いったいつぎはなにがブームになるのか。「それはもうだれにも予測がつかないのでは」とNくんは語っていた。
②『ロリコン』オムツ・マンガの王さま内山亜紀ファンの中心は意外にも女子中学生!
さきの米沢氏の『OUT』の評論のなかで、クローズアップされていたのがこの内山氏。毎月たったひとりで160Pもの分量をこなす、ロリコンマンガの売れっ子No1といえる。オムツをはいたかわいい女の子が登場するマンガは、女子中学生にも大人気。その内山氏を自宅(東京・巣鴨のとんかつ屋の2階)に訪ねた。
AM しかし、月産160Pとはすごいですね。ふつうのマンガ家の場合、平均が・・・。
内山 約40〜60Pぐらいかな。まあ、とにかくぼくは描くのが好きなもんで、ひたすらに描きまくっているわけです。
AM そのすべてが、ロリコンマンガなわけで「よくあきないね」という声もききますが
内山 じつはマンガを描きはじめてしばらくはロリコンということばも知らなかった。たまたまきた注文がなぜか女の子マンガだったのがきっかけだったんですね。あるとき、ある編集者に「内山さん、ロリコンて知ってる?」「ううん」(笑)。というわけで、意識して小さな女の子を描くようになったのは『OUT』に描きはじめた54年*3ごろからですね。
AM つまり、いつのまにかロリコンマンガ家になっていた?
内山 そうですね。そして、たまたまあるときSMの小道具のひとつに“オムツ”があると知りまして、それを題材にマンガを描いたら、変にいやらしくておもしろかった。女の子からくるファンレターにも、オムツがいいというのもあったりして。
AM 内山さんのマンガに女の子からくるファンというのもおもしろいですね。
内山 やはり、少女マンガでは直接にエロを描くのはむずかしい。それで、性的好奇心にあふれた女の子は少年マンガやエロマンガをこっそり見てるんじゃないでしょうか。
AM つまり、ロリコン的要素は女の子にもうけ入れられる?
内山 ロリコンというのは、無抵抗なものを自分の意のままに動かしたいという欲望が基本にある。それは万国共通、誰の心にもあることだと思う。と同時に、性的欲望は生きることと同じくらいに自然なもの。いちばん性的好奇心の強い中学生ぐらいのときに、その欲望をおさえつけられているわけです。すると、少年少女が性的なものをとり入れるためには、ロリコンという形でしかあり得ない、とぼくは思うんです。だから、人がいうほど、いまロリコンブームだとは決して思わないんです。マンガの歴史からみれば、ロリコンマンガはたいしたことはないけれど、この先どういう形ではあっても、ロリコンは生きのびてゆくものだと思いますからね。
いまや、少年マンガやエロマンガよりも少女漫画のほうがアレですが・・・。
毎月たったひとりで160Pもの分量をこなすってのがとんでもないなあ。
コミケット『ロリコン』ファンジンの推移
ロリコン誌の元祖といわれるマンガ同人誌「シベール」は79年4月にスタート。79年12月には『ガンダム』のエロティック・パロディー誌『AMA』が、そして、80年夏『クラリスマガジン』が登場して、いわゆるロリコンファンジンの大量出現にいたる。
しかし、同時に『シベール』が廃刊となり『クラリス・マガジン』が発売を延期*4して、いわゆるロリコンファンジンの原点をかたち作った。
80年冬の『ロータリー』『ヴィーナス』の出現が起爆剤となって、81年夏のコミケにおける、ロリコンファンジンの大量出現にいたる。
しかし、同時に『シベール』が廃刊となり『クラリス・マガジン』が発売を延期しているように、ロリコンファンジンのサイクルはかなり短いもののようだ。
上の資料に使わせていただいた『別冊アニメコム・少女愛好家のために』は、アニメ美少女キャラの総まくり敵研究誌だ。
あと、
“リボコン LITTLE・BOY COMPLEX”というものもあって
なんて書かれてますが、これって今で言うショタコンですよね。
結局、言葉として定着しなかったんですね。
といったところで今回はここまで。
あと少しだけ続きます。
※当ブログの関連記事
宮崎駿、ロリコンについてコメント:http://d.hatena.ne.jp/soorce/20061024#p1
1978年頃に人気のあったアニメはこんな感じ:http://d.hatena.ne.jp/soorce/20061029#p1
1982年に人気のあったアニメ、キャラクター、声優などはこんな感じ:http://d.hatena.ne.jp/soorce/20061105#p1
#>Uさん、Mさん、id:an-shidaさん、「そのうち」って今さ!