情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明


漫画、あるいは小説、もしくはエッセイなどの
印象、あるいは連想、もしくは感想を書いてるBlog。

例えば、無筆文盲とか

 私の使ってるのはIME2002ですが「無筆」の方は変換できますが「文盲」の方は変換できませんね。
 日本では半分くらい死語になってしまってるのかもしれませんが、ま、辞書登録しておきました。
 「歌は世につれ世は歌につれ」なんて言いますけど、言葉も同様のようで、使わなくなった言葉があれば新しく出てくる言葉もありまして。
 でも、自然に使わなくなって行くのと、使うことを禁じて・・・いや、使うことに文句をつけて使わせなくして行くってのはどうも違うんじゃぁねえの、ってことです。
 「不快感を感じる」「そんな言葉を使ってはいけないと思う」「そんな言葉を聞いたらXXの人はどう思うか」
 ってねぇ、慣用句も故事成語も使えなくなっちまいますよ。
 酷いのになると何十年も前に書かれた本や映画や歌の内容を「現代の基準に沿うように」改版しちまおうなんてことを考える。
 そりゃいけませんよ。基のを残しておくてんならまだ良いですよ。でも、まったく違うものにしておいて「この方が良い」だのなんだの言われちゃたまりませんや。
 源氏物語徒然草を手前勝手に改版して、基のは「悪いものだから」手に入んないように全部燃やしちまおう、なんて事考えるのと同じじゃありませんか。
 そういうのは古典で名作で文化的価値があるから違うって?それは誰が決めるんですかね?未来の人類の全権代理人にでもなってるつもりなら、もう一寸考えて欲しいですな。
 自分の思想が正しいかのように改竄した歴史しか残さない、ってんなら話は別ですがね。

 
 えー、多分こういうことを書くと差別用語だなんだかんだとアヤ付けてくる人が居るだろうってのは分かってますんで。また、そういう人の見境の無さも知ってます。
 言葉が差別をするんじゃないんです。言葉を狩ろう何てことを考える人、そういう考えを出す人こそ差別をする人なんだと思ってます。


#ここで疑問が一つ。ヒトラーの夢見た「ユダヤ人の居ない世界」ってのは、誰かの夢見てる「悪い言葉の無い世界」とどこが違うんでしょうね。