落語がメインの作品だとそういうことは無いんだけど、なんかアレ?って思っちゃう事があるんですよ。
イメージが伝わればいいので、あんま細部にこだわり過ぎてもしゃあないんですけどね。
- 「おあとがよろしいようで」と言って高座から降りる
- 寄席ならばあり得るが、噺の下げを言って終わるのが普通なのであんまり言わないし、トリは言わない。独演会などでもまず言わない
- 看板やめくりの文字が寄席文字(橘流)じゃない
- 歌舞伎(勘亭流)や相撲(根岸流)と混同している場合がある。デザイン上の制約(読み辛いとか)あろうけどねえ
- 名前の〜代目などは血縁関係が継ぐ
- 歌舞伎と違って、落語ではそういうのありません。弟子が継いだり、一門の全然別筋が継いだり。
- 逆に、血縁関係があるからと言って実力に見合わない大きい名前を継ぐとか、権利がどうの言い出すのがおかしいのです。
- 歌舞伎と違って、落語ではそういうのありません。弟子が継いだり、一門の全然別筋が継いだり。
- めくりに演題を書く
- 演者の横にある看板みたいのを「めくり」というけど、それは名前を書くもの。
- 寄席では出演者はともかく演題は決まっていないのだから、書かれている方がおかしい
- 演者の横にある看板みたいのを「めくり」というけど、それは名前を書くもの。
- 噺をしても羽織を着たまま
- マクラはともかく、噺に入ったら羽織は脱ぐのが普通のはず
- 「扇子」と「扇」を混同
- 落語家の道具「かぜ」は「扇子」の事。能・日本舞踊などの「扇」とは違います
- 対になる「まんだら」は「手ぬぐい」の事。こっちは他の伝統芸能では似たようなものを使いませんね
- 落語家の道具「かぜ」は「扇子」の事。能・日本舞踊などの「扇」とは違います
- 扇子で頭を叩くなど、日常において封間(たいこもち)っぽい言動や動きをする
- 噺家と封間を混同して描かれる場合がありますが、落語の登場人物としての封間はあれど、お座敷芸としての封間とは別。
- 前座なのに羽織着てる
- 江戸落語の場合、羽織を着られるのは二つ目・真打です
と書いてみたものの、時代によって変わるものもあるし、自分の落語知識も生半可だから間違ってる可能性が。
誰か一人が最初に描いて、拡大再生産されてるってのもあるのかも・・・。
多分、自分が知らない職業ネタとかでも色々あるんだろうとは思うんですね。医者漫画とか、コンピュータ関連とか。
とはいえ、そこが重要なポイントではないのにそんな目くじら立てても仕方ないってのもあります。
薀蓄を読みたいわけじゃなくて、面白い物語を読みたいのだし。
でも、自分が知ってる事の範囲だと気になるんだよなあ。
ジレンマです。
といったところで今回はここまで。