情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明


漫画、あるいは小説、もしくはエッセイなどの
印象、あるいは連想、もしくは感想を書いてるBlog。

島本和彦と庵野秀明が大学時代を語った対談記事(Newtype1985年7月号)


 ヤングサンデーの「アオイホノオ*1が面白すぎます。


 ということで、角川書店Newtype1985年7月号*2に掲載された島本和彦庵野秀明の対談記事を文字起こし。(敬称略)
 この対談の時点で、島本和彦は24歳、庵野秀明は25歳。どちらも名前が広く知られるようになっていた頃です。


 註はsoorceが記載。間違い等ありましたらご指摘下さい。リンク切れ等ご容赦の程。
 画像ははてなフォトライフを使用。(フォト蔵がおかしいので)*3


 

最初にパンチを食らったオレ!!



「爆発!浪花メーター」
この特集が語らんとする関西とは、パワーあふれる者たちを生んだ土壌である。
生み育てた土地。
そして、様々な出会いとその後の成長への大きな影響をも、この土地は与えてきた。
マンガ家・島本和彦
アニメーター・庵野秀明
一見、共通するものがないように見える2人だが、大阪芸術大学の同期生*4であり、なおかつ2人は学内の有名人であった。
2人の大阪をぜひ聞いてほしい。



大阪出身者ではないが大阪が人生の転機になった人もいる。
今や売れっ子のこの人が、などということもあるのだ。
週刊少年サンデー」誌上で「炎の転校生」を連載中のマンガ家・島本和彦さんもそのひとりだ。
風の谷のナウシカ」や「メガゾーン23」で有名なアニメーター・庵野秀明さんもまたそのひとり。
奇しくも、大阪芸術大学・映像計画学科の同期であるお2人に大阪芸術大学時代を語っていただいた。



島本ナウシカ*5観ましたよ。巨神兵、スゴかったですね。
庵野 あっ、どうも。
島本 映像計画学科は一クラスだっったけど、ほとんど話はしてませんね。ただ、同級生として認識しているだけで……。
庵野 グループが違ったからね*6。そういえば映像計画学科って、映像学科って名前になっちゃったんだって。
島本 名前が変わっただけ?
庵野 そうみたい。ぼくらが居たころと同じで、映画作ってれば4年まで上がれるみたい。
島本 発表会で、庵野さんのグループの「ウルトラマンDX(デラックス)」*7で、いきなりパンチを食らっちゃいました。庵野さんが素面でウルトラマンを演られたでしょう。「やられたなぁ〜」と思ったし、「こんな演りかたがあったのか!」と打ちのめされちゃった訳ですよ。それにアニメもキャリアあって上手でね。
庵野 そうですか(笑)。
島本 ぼくなんか、絵を描く上ではアニメもマンガも同じだろうと思っていたところがあって、映像学科にいましたから、庵野さんらの作品みて、「こりゃ、アニメはダメだ」と思って、「じゃあマンガに逃げよう」ってマンガ家目指したんですよ。
庵野 ホントですか?
島本 北海道にいた頃、自分でパラパラマンガ作って、「こりゃあ、いける」って思ってたんですから。
庵野 北海道か。ぼくは山口県出身なんだよね。大阪に出てきてからは、行きっ放しとうい感じで、山口には2年に3日ぐらいしか帰ってませんよ。
島本 ぼくは長い休みは、だいたい北海道に帰ってましたよ。大阪にはあんまりいなかった。大学も4年上がる前にやめちゃって、東京に出てきちゃったし。
庵野 DAICON FILM*8の作品で「愛国戦隊 大日本」*9 *10と「帰ってきたウルトラマン*11に参加したから、3回生の時、全然学校に行かなくて、ぼくもやめちゃった。
島本 1、2年はまじめに行ってたんですけど。
庵野 ぼくもです(笑)。
島本 ぼくなんか、大阪に初めて出てきた時に、電車に乗ったらみんなが大阪弁しゃべってるんで、おっかなかったな。
庵野 まさにね(笑)。
島本 学生が、ちょっとした冗談でね。相手のえり首つかんだりして、一言いうとスゴミがあるんだよね。女の子も大阪弁しゃべるし(笑)。
庵野 かわいいなぁ、いい子だなぁ、いいな、いいなと思ってると出る言葉が大阪弁なんで愕然とした日々がありました。
島本 ぼくはね、大阪に来て最初に乗った電車の中で、北海道弁をバカにしてるのが聞こえてきたんで、「ぜったい、大阪弁は覚えないぞ!」って心に誓ったりしましたよ(笑)。
庵野 学内の有名人だったの気がついてた?
島本 ホントですか?ぼくは大阪では、ほとんど自分のペースになれなくて、隠れた存在みたいだったけどなあ。
庵野 それは認識不足だよ。マンガのヒーローそのものだとかいわれてたよ。
島本 当時は気力をなくしてましたから、そんなじゃなかったと思いますよ。なにしろぼくは、先に突っ走るタイプですから、大阪にいて他の人にドンドンやりたいことやられてましたからねぇ。
庵野 そんなことないって。
島本 でもね。北海道の友達に自分の描いたマンガ見せたら、受けたんで、「こりゃ、いける!」と思っても、大阪の友達に見せたら、黙りこくっちゃってね。たぶん、ぼくの今のマンガも大阪の人に受けてないんじゃないかな。
庵野 それは、マンガよりも本人のほうがおもしろかったからじゃないかな。
島本 あの時、おもしろかったかなあ。
庵野 おもしろかったよ。と、そうだ、デビューの時*12に、ハガキ配ってたでしょ。アンケート書いてくれって友達に……。
島本 あれね。いっぱい配ったのに、アンケート見てみたら、2、3人しか出してくれてなかったな。
庵野 ゴメン、私用に使っちゃった。


 大阪の持つエネルギーは、今日も誰かの心にパワーを吹きこんでいるのではなかろうか。




 庵野秀明が描くところによると、学生時代の島本和彦はこんなだったみたいです。



 これは、同誌に掲載された「爆発!浪花メーター」という特集記事のうち一つで、他には今西隆志・大森英敏森本晃司の鼎談、アニメアールの紹介記事などが載っていました。


 他に島本和彦庵野秀明が関わったものといえば、1991年にOLA*13としてアニメ化された「炎の転校生」もありますね。
 制作はガイナックスで、VSD*14限定の予告編「特報」の演出を庵野秀明が担当してました。*15
 当時の広告*16とその部分拡大。





 ついでに言えば「アオイホノオ」内で引き合いに出されている2人の漫画家は、未だに週刊少年サンデーで連載中。
 あだち充は「燃えよペン」内の出版社忘年会ネタで出てきますし、また、高橋留美子は「燃えよペン」の竹書房版の帯に「ここにはマンガ家の真実がある」というコメントを寄せていました。
 そういうのも含めた後編以降へのフリなのかもしれませんね。


参考記事:
 大炎上 | 「アオイホノオ」(前編) 島本和彦の大学時代は言いたい放題
 いけさんフロムFR・NEO RE 島本和彦「アオイホノオ」に見る炎の80年代コミックシーン


 炎の転校生 BLU-RAY SPECIAL (完全初回限定生産商品) 風の谷のナウシカ [DVD]




#写真をよく見ると、島本和彦の着てる服には「MASKED RIDER」と書いてあります。そういえば仮面ライダーもキーワードになってましたっけ。




*1:現在発売中の14号に前編、22日発売の16号に後編が掲載

*2: ニュータイプの創刊は同年4月号。機動戦士Zガンダムの放映開始と同タイミング

*3:また、スキャナがどうもちゃんと動かないので、デジカメ画像です。なのであんまり大きな画像にはなりません。

*4:1980年4月入学

*5:この対談の前年、1984年公開

*6:「グループ」で1作品の映画作成を行う為

*7:下の方で出てくる「帰ってきたウルトラマン」参照

*8:後のガイナックス、と書くとはしょりすぎか

*9:

*10: OPは「太陽戦隊サンバルカン」より

*11:

*12:「必殺の転校生」のこと。増刊週刊少年サンデー1982年2月号掲載

*13:オリジナルレーザーアニメーション。LDでのみリリースされたが、結局1年後くらいにビデオ化された。

*14:ビデオシングルディスクの略。12cmCDサイズのLDのようなもの。今これ再生できる機器って売ってるのか?

*15:ASIN:B00005FUIF にも収録されてます

*16:これはNewtypeじゃなくてまんがくらぶ増刊の表4