何かを読んだり視たり聴いたりするのに、前提条件として〜は抑えといて欲しい、というような言説をしてしまうのは良くないことだと思うのですよ。
知っていたらより楽しめるかもしれないけれど、知らない人が見たって楽しめないよ、というのは本末転倒というかなんというか。
ある映画監督の過去作品を全て見て無いって人に「そんなヤツがその監督の新作について語るな」みたいなことを言う人が居るんですよ。
あのなあ、それは違うだろう、と。
例えば、300年近くに渡る物語の連鎖としてこんな例があります。
ロビンソン・クルーソー(ダニエル・デュフォー、イギリス、1719年)
↓
スイスのロビンソン(ヨハン・ダビット・ウィース、スイス、1812年)
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宇宙家族ロビンソン(CBSネットワーク、アメリカ、1965年〜)
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宇宙家族カールビンソン(あさりよしとお、日本、1984年〜)
リスペクト、あるいはオマージュ、もしくはインスパイア。
そういう言葉で言い切れてしまえば簡単かもしれませんが、そんなに単純でも無いですよね。
特にカールビンソンは映画・特撮関連パロディなどの要素が非常に多いですが、それを知らないと読む・語る資格が*1無い、なんてことはない訳で。
積み重ねられて来たものの断面を全て見ることは非常に難しいでしょう。
が、触れる事ができるのは表層のみだとしても、その下に何かが有ることを知っているか、意識できるかどうか、その辺に気を付けておけばそれでいいんじゃないんですかね。
#大人も子供も楽しめる絵本、というような話題もあるのですが、それはまた別の話。「旅の絵本」とかね。
*1:こう表現すら大嫌いなんですが