さて、剣道とはフェンシングとは、スポーツであろうか?
然り。ただし現代においては、である。
かつて、武士は刀を以って果し合いを行い、貴族は剣を以って決闘を行った。
それが近代現代においてはスポーツとして変化しているのである。
ならば、現在スポーツならんとしているフードファイトが、過去において貴族同士が己の名誉を賭けて行う闘争であったことに何の不思議があろうか。
それはまさに「決闘」だったと記されている。
以下、孫引きとなるのをお許し戴きたい。
(前略)
シャルル・モンスレーがその著書『食通年鑑』のなかで語るこの決闘は、ナポレオンの第二帝政時代*1に、逞しい食欲を備えた二人の貴族の間で*2行われた。
モンスレーが語るには「―――『さあ、ご両人』と介添人が言うのを合図に、二人の相手は挨拶を交わし着席した。介添人は、果し合いのあらゆる成行きが監視できるように、脇のテーブルに陣取った」
果し合いは夕方六時に始まった。
晩餐はものすごくふんだんで、三食分もの献立からできており、十五皿ほどの品数だったが、真夜中まで延々と続いた。双方とも優劣はつけがたかった。決闘者たちは、パテ料理、焼いた肥鶏、煮込み、野菜、デザートを順序良く無言のうちにかつ勇敢にのみこんでしまった。
そこで介添人は、給仕頭に向かって力強い声で言った。
「やり直おしだ!」
やがて二度目の夕食が用意されたが、これも最初と同じように豊富で、こってりしていて立派なものだったし、上等なワインがたっぷり用いられていたことはいうまでもない。
コーヒーがすむとリキュールの決闘!
しかし、決闘者は心静かに攻撃に耐えていた。勝利者も敗者もなく、その成行きは予想どおりであった。給仕頭が呼ばれた。
「夜食を運ばせたまえ!」と介添人が命じた。
夜食が運ばれた。今度もまた相当な量だった。牡蠣と冷肉、ざりがにとロシア風のサラダ、フォア・グラと豚肉製品といった盛りだくさんの料理が出た。戦士たちは互いにこっそりと相手を監視しながら、雄々しくもちこたえていた。
彼らが食べているうちに介添人は寝こんでしまった。太陽の光がカーテンを通して無遠慮にさしこんできた。敗れたことを認めようとしない二人の決闘者たちは介添人を起こして朝食を命じた。牡蠣にソーテルヌの白、網焼きにシャンベルタン。
感嘆した介添人はこの勇ましい手本にならってやはり朝食をとった。
結局、ようやく正午になって戦士の一人が食卓の下に倒れた。ベッドに運ばれたが、数日床を離れなかった。
どう考えても奇妙なこの戦いは一八時間も続いたのであった。
美食の歓び*3(キュルノンスキー&ガストン・ドリース) 中公文庫版(ISBN:412204295X) P195〜199「食通の決闘」より
この例を鑑みるに、彼らは食を闘争の道具として使いはすれ、決して料理を台無しにするような事は無かったのだ。
現在のフードファイトはこの志を失ってしまったのでないだろうか。
・・・なんか引用文打ってる内に色々言いたいことがあったのを忘れたけどまあいいや、とにかくあれだ、邪道喰いはよせ!!
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