情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

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漫画、あるいは小説、もしくはエッセイなどの
印象、あるいは連想、もしくは感想を書いてるBlog。

今から20年前の週刊少年マガジンはこんな感じ その1 基本データと次号予告


 サンデーをやったんなら今度はマガジンだ、というわけで丁度20年前、1986年の18号です。


 巨人の星あしたのジョーの栄光は去り、週刊少年ジャンプを発行部数で抜くまであと10年。
 雌伏の頃、と言えば聞こえは良いかもしれませんが、低迷期だったわけです。


 以下、各画像はクリックで拡大画像ページを開きます(フォト蔵使用)

表紙と目次

 週刊少年マガジン1986年18号 表紙 週刊少年マガジン1986年18号 目次


 目次より

 ■表紙■ B.C.トライアングル 絵/中西やすひろ 構成/PENCIL STUDIO 製版/小島鎮

奥付より

週刊少年マガジン1986年第18号 4月16日号*1

  • 昭和61年4月16日発行(毎週一回水曜日発行)
  • 昭和34年3月26日第三種郵便物認可
  • 第28巻 第21号
  • 編集兼発行人 三樹創作
  • 定価百八十円

データ


連載作品:15作品


総ページ数:344ページ*2

  • 漫画作品ページ数:289ページ
  • 記事ページ:15ページ*3
  • 広告:11ページ
  • 企画広告:4ページ*4
  • 自社広告:25ページ*5


 ページ単価は0.523円。
 サンデーと比べると自社広告が多いかな。これは後で纏めます。

この週の漫画*6


 B.C.トライアングルは巻頭4色カラー+2色カラー。こっちは4色カラーですね。


 この頃は主力連載の連載が長期化するのに対して新規連載はどれも短命、という悪循環に陥っていた頃でした。
 新連載も月刊少年マガジンでのOh!透明人間のヒットを受けた、中西やすひろの初週刊連載だったんですが結局これも短期で終わることになりました。


 各長期連載のこの時点での刊行巻数は以下の通り。


 また、この連載陣の内、現在も講談社で連載を持ってるのは*7僅かに4人。
 マガジンで描いているのに限定すると森川ジョージ唯一人。
 週刊少年サンデー1986年15号の連載陣では原作者を含めた18人中11人が小学館の雑誌で連載を持っているのに比べると、いささか少ないようにも感じられます。


 あ、竜崎遼児って、週刊少年ジャンプ週刊少年サンデーでも連載経験在るから、グランドスラム一歩前だったんですね。
 (現役漫画家では達成者は永井豪くらい?リーチがかかってるのは他にも数人居ますが。)


記事ページ

  • 斬りCOMIまんが塾
  • ピモピモ広場
  • ニュース&コラムカタログ

 この号はグラビアなし。たまたま?
 「斬りCOMIまんが塾」は漫画の描き方講座みたいなのです。

 週刊少年マガジン1986年18号 記事カット
 タモリヨースケ(田森庸介)がやってますね・・・って田森庸介はサンデーでもこんなようなことをしてた記憶が在るんですが?漫画家の仕事場訪問みたいなの。

次号予告


 次号予告では春の5大新連載の2番目としてアニメ作品のコミカライズ「剛Q超児イッキマン」が連載開始されることが告知されており、作者には「期待の新人」とのキャッチコピーが付いてます。
 この漫画家、確かに将来有望で(この作品こそ短期で終わりましたが)その後、2000年には長者番付文化人部門で1位を取る事になります。


 週刊少年マガジン1986年18号 次号予告1 週刊少年マガジン1986年18号 次号予告2週刊少年マガジン1986年18号 次号予告3

 
 高橋かずお、後の高橋和希です。


 といったところで今回はここまで。他の号は無いんでそんな長くやらない予定。
 サンデーに関してはへはタグからどうぞ>タグ:サンデー1986




#さらに10年前、1976年の週刊少年マガジンに関してはこちら>タグ:1976週マガ

 関連記事:今から20年前の週刊少年マガジンはこんな感じ その2 広告と自社広告編


*1:発売日は4月2日

*2:表紙・裏表紙含む

*3:表紙・目次を含めて

*4:所謂、懸賞付き広告。誰でも官製はがきで応募できる、となっているもの

*5:次号予告、単行本広告を含めて

*6:この号での掲載順どおりです

*7:無期限休載中の蛭田達也を入れても