むかしむかしの第一期魔法時代の頃、思慮深い魔法使いにとって、自分の真の名前はいちばん大切な持ち物であると同時に、命にかかわる最大の悩みの種でもあった。
というのは、−伝説によれば−どんなに非力で未熟な者であっても、ひとたび魔法使いの本当の名前を知ってしまうと、よく知られたお決まりの呪文を唱えさえすれば、どんなに強い魔法使いでもやっつけたり服従させたりできるからである。
時がたち、理性の時代へ、さらに第一次および第二次産業革命へと進んで、そんな話はでたらめだということになった。
さて今はどうかといえば、どうやら運命の糸車がぐるりと一回転したらしく(第一期が本当は存在しなかったとしても)、また昔みたいに真の名前を心配するようになっている。
この小説はこう始まっています。原題からも分かりますが匿名顕名が第一のテーマであるわけです。
1981年に書かれ、1982年にアメリカで出版され、1989年に日本語訳された小説ですよ、これ。
原題は「TRUE NAMES」、日本語訳版はISBN:4-10-227901-6(絶版)*1
ISBN:4-10-227901-6:detail
本文160ページ、マーヴィン・ミンスキーによる解説が26ページ、訳者あとがきが6ページの薄い*2本です。
この小説が書かれた今から25年前、1981年というのはパソコン・インターネット関連で言えばどういう頃かと言うと、
- BITNET、CSNETが開始された年(TCP/IPの制定は翌1982年)
- IBMからDOSを搭載したIBM PCが発売された年(CPU:4.77MHz、メモリ:16KB。今のパソコンの何分の一?詳しくは IBM PCを )
まだまだ一般的にパソコンが出回って無かったり、世界でネットワークがこんな風につながってはいない頃なんで、常時接続の概念が無かったり、色々と現実になった未来とは違うのですが。
例えば
- この世界でのハッカー「魔術師」たちは頭に吸盤状の脳波入出力装置*3を付けて、ネット世界「別平面」へとリアルタイムに入り込む。
- リアルタイムこそネットの華、みたいな概念。
- 大量記憶装置の容量が「数千メガバイト」
- 出てくる機械メーカー(今で言えばPCパーツメーカー?)の名前が「デル、ボーイング、日本電気」
- 通信速度の単位が「ボー」
- 世界レベルでの情報通信の要は「大量情報通信衛星」
- ○○○が「数百兆バイトのプログラム」
等等・・・。
ブロガーらしきもの
この小説の一方の主人公である「郵便屋」*4は、「郵便屋」の存在する別平面上の場所*5に置かれているテレプリンタ*6から、彼の文章が出力される、ということしか分からない謎の人物。
メッセージを*7打ちこむと、一時間から一週間ほどして機械がカタカタと動き出し、たかだか数千語の返事が現れる。
郵便屋の人間らしさの唯一の証拠は、反応が何時間にもわたるテレプリンタによる会話だった。
郵便屋のアウトプットが、ほとんど読まれずに、何メートルもだらだらと石を敷き詰めた床に吐き出されていたように記憶している。
それが今ではどうだろう、郵便屋の御言葉を一語一語むさぼるように新弟子達が読み、アウトプットを用心深く切り取って、他人が調べる手がかりを一切残さないのだ。*8
これはまさしくブロガー、それもアルファブロガーと言えるかも知れません。
(オフ会とかに参加すれば別だけど)本当の姿の分からない人物による非リアルタイムでの文章の更新、そこに集う影響される人たち、とか。
ハンドルネームリセットについて
「別平面」上でこんな会話が行われるシーンがあります。
この会話を行っている人物達の知り合いと同一人物かわからないある存在に関して
A:「ほんのかすかな徴候だから、雰囲気とでも言う方がいいのかもしれないが。」
(略)
B:「それじゃ、その背後にいるのは誰だと思う」
(略)
B:「化けてるかもしれないぞ」
A:「そうかもしれないが、おれはそうは思わんね」
(略)
A:「そいつにはたしかにスタイルがあるんだな。そのスタイルから連想するのは俺たちの親友の・・・だ」
以前名乗っていた名前と変えてもリセットされるわけではなく、推測可能な場合もある、という示唆がされています。
スパム手法のようなもの
(あるハッカーが犯罪組織から大金を掠め取った後の処遇で)
A:「つまり、金はアメリカとヨーロッパにある三百万の普通預金口座にばらまいた。その内ひとつがたまたまおれ名義という仕掛けだ。」
B:「三百万の口座だって?そのどれもが突然ちょっとばかしふえたっていうのかい?」
木を隠すなら森の中というか、逆スパム的手法というか、この間の楽天騒動みたいなというか。
外れた予言、当たった予言
この小説には、電子メールの概念も携帯電話も存在しません。
全ての通信は電話網と情報通信網を通じて送られています。
また、「別平面」とは別に「世界情報電子掲示板」というのも登場しますが
この二十四時間の世界情報電子掲示板のデータを記憶装置に放り込んでから、ポラックはそれを点検し始めた。
こっそりメッセージを受け取るには、この掲示板はもってこいだ。
メッセージを残そうと思えば地球上の誰だってできる−そして、その内容は、内容と対象および発信人で索引付けられる。
ユーザーは全部をコピーしてから検索すれば、一体どの情報に関心があるのかは外部には洩れない。
それに、発信人を殆ど不明にする簡単な方法もあるのだ。
どちらかと言えば、パソコン通信におけるフォーラムみたいな感じですね。
・・・当たってたのか、これは。
そして、「郵便屋」の正体はネットワークから誕生する知性
この段落は重大なネタバレを含みます。反転してあるので読みたくない方は飛ばしてください。
以下反転。(小見出しも一部反転済み)
この「郵便屋」の正体はネットワークから誕生する知性で、このように書かれています。
彼らは、独立してはさほど効果もないし意識を持たない成長核*9を書いたの。
大システムの中で生きて、システムのオペレーターがたとえどんな政策を取ろうが、どんな過ちを犯そうが、それとは無関係に、次第に成長して力を蓄え意識を持つように設計されていたわけ。
(略)
成長核はそれほど大きなものじゃない。おそらくコピーがシステム内に忘れてあったんだと思うの。
ほら、その核は、もし計算実行を開始したら独力で生きていくように設計されていたでしょ。
何年もの間に、それがゆっくりと成長したのよ−−−生まれつきの習性と、そのすみかとなった通信網が力を増したおかげでね。
攻殻機動隊の人形つかいもこんな感じでしたか。ネットは広大だわ・・・。
さてはて、通信網の力のおかげで発達する人工知能というアイディアはどの程度普及してるんでしたっけ
反転ここまで。
予言は成就されつつあるのか?
最後の段落からも引用しておきましょう。
プロセッサは高速化し、メモリは巨大化する。
現在の地球上の全システム資源は、いつの日か、誰の手にも入るものとなるだろう。
ぼくの手にも。
今や、個人の持てるパーソナルコンピュータの性能はアポロ計画で使われた全コンピュータの性能も凌いでるわけですが。
1981年当時の地球上の全システム資源は既に誰の手にも入るものになっています。
・・・さて、この先は?
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