情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

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(昔の)コミックの分業制 その2 劇画プロダクションの例

 原作・作画の分離だけじゃなくて、アシスタントを沢山抱えてやっていくのもまあ分業かな、という話。
 漫画を生産する「工房」と、作品を作り上げる「職人」の部分のバランスってのはなかなか難しいようですが。


 漫画を描く上でなんで分業・アシスタントが必要になって来たかというと、漫画家1人での作画量には限界があり、それ以上を「生産」することが物理的に不可能だからですかね。
 そこで、漫画家を目指しているが未だデビューに至らない、とか、デビューはしたけど一本立ちまで行ってない人が(徒弟制度的な修行も兼ねて)アシスタントとしてプロ作家の手伝いをする、ということあるわけですよ。*1


 しかし、これは必然なのですが「良い人材ほど抜ける可能性が高い」という矛盾をはらんでいる制度というかシステムなんですね。
 「綺羅星のごとき人材を多数輩出した」なんて言えば聞こえは良いのですが、「多くの有能な人材が次々と辞めていった」とも言えてしまう訳で。


 例えば、これは「無用ノ介」連載時(1969年)のさいとうプロのスタッフ・クレジットなのですが、

 

 製作スタッフ

 -構成-
 さいとう・たかを

 -脚本-
 森幸太郎(協力)
 小池一雄*2
 さいとう・たかを

 -構図-
 武本サブロー
 さいとう・たかを

 -作画-
 石川フミヤス
 甲良幹二郎
 武本サブロー
---------------
 神田猛*3
 大竹由二
 山崎拓*4
 田村精作*5
 前田金蔵
 山川紀生
 加藤晴美
 鷲尾清春
 神江里美*6
---------------
 フジ・山城
---------------
 さいとう・たかを

 今にしてみればものすごいメンバーとしか言いようがなかったり。


 まあ、石川フミヤス、武本サブローは、今もさいとうプロでそれぞれのチームを率いて活躍してらっしゃるいます*7から、全員が全員抜けていくということは無いのですが。


 しかし、優秀なスタッフが漫画家として一人立ちするのは喜ばしくも痛手であったりするわけで。*8


 誰にでも出来ることならば意味が無いし、誰かにしか出来ないことになってしまうとリスクが大きすぎる。
 その辺のバランスが難しいんでしょうかね。

*1:これは余談ですが、最初の「プロアシスタント」というのは誰なんでしょうかね。手塚治虫の専属アシスタント第一号はタイムボカンシリーズの監督として知られる笹川ひろしだったそうですが、デビュー前の漫画家の卵などが一時的に手伝ってた例は色々とあったようですし、どう境界をつけるのか、とか。

*2:小池一夫

*3:神田たけ志

*4:やまさき拓味

*5:叶精作

*6:神江里見

*7:参考URL:http://www.saito-pro.co.jp/saitopro/staff.htm

*8:佐藤まさあきは、アシスタントに女性キャラを丸投げしてしまっていて、そのアシスタント(例えば「湯けむりスナイパー」の松森正)が抜ける時に絵柄が変わってしまうことが避けられなかった、なんていうこともあったそうです。