キャラクター・プロット(ストーリー)・ガジェットの3要素で物語は構成されてるかな、とか思ってたのですが、
id:izuminoさんの「週刊誌の漫画をラーメンに喩えると」(http://d.hatena.ne.jp/izumino/20050712#p1)で
「世界観(絵柄、作風など)」という要素を提示されていたので、じゃあそれを入れた時に自分ならどう例えるかな、と考えたわけです。
物語を丼ものとすると
というのはどうでしょうか。
ただし、これは週刊誌の漫画に限ったことじゃないんで少々違いが出て当然ですよ、と最初に断っておきます。
ここでは「ご飯を美味しく食べて満腹するために他の要素が存在している」というのが大前提です。
ご飯の無い丼ものは丼ものじゃ無い
やっぱり、炭水化物がないと腹にたまらない、腹に入らないんですよね。
あくまでも、コレを食べるために他の要素が存在しているわけですよ。
あと、具が器をはみ出ることはまま有るが、ご飯が器をはみ出ることはまずない*2というのも具ではないだろうと。
それと、星新一のショートショートのようなキャラクター性を排除した*3物語が存在しうる、つまり具の無い・・・塩お握りのようなのも存在できる、ということで。
器の好み、というか
「作者買い」や「ジャケ買い」というものを説明するため、あとは、器を超える物語を作り出すことは滅多に無い*4のでこう当てはめてみました。
丼か重か皿か、大きいのか小さいのか、深いのか浅いのか、薄いのか厚手のか、塗り椀か焼き物か、色は、重さは、持ちやすいか、手にしっくり来るのもあれば来ないのもある、というように、千差万別なわけで。
中に入ってるものに殆ど差は無い時にどうやって選ぶか、と言う要素ですね。
例えばカレーライスならば、普通はカレー皿を理由として食べることはしません。
器を気にせずに、それがカレーだから、という理由で食ってたりするわけです。*5
しかし、カレー丼としてある器に入ったときに、それならば食べる、というお客さんが居るわけですよ。*6
これが「作者買い」であり「ジャケ買い」かなあ、と。
そして、この器で供される食べ物ならばこれだけの空腹を満たしてくれるはずだ、という期待も持っていると思うんですね。
特大の丼のはずなのに1/3も入っていなかった場合には・・・まあ、期待はずれだったと思うしかないのですが。
何故キャラクターが具なのか
キャラクタービジネス、とかいったものをどう説明するか、というのを考えてこうかな、と。
また、〜丼というネーミングの主体となるのは具なわけで。
キャラクターのみで独立して売られることも有るし(牛皿とか、カツ丼のアタマ、といった食べ方もあります)、
そういう時にえてして酒のつまみになったりすること*7も多い、と。
そして、その時の方が結果として客単価は上がり、店の売り上げは大きい場合も・・・。
ガジェットは必要不可欠な訳ではないのかも
山椒の無い鰻丼なんてのは許容できないけど、紅生姜の無い牛丼は許しても良いんじゃないの、とかそういうレベルの差ですが。
しかし、例えば時代劇というジャンルを考えて見れば、別段特殊な概念を導入しなくとも魅力的な物語は数多あります。
勧善懲悪、人情和解、盛者必滅会者定離、というような定形パターンが嫌いな方も居ますが、激辛のものばかり食べていても飽きてくるわけで。
まとめにならないまとめ
まあ、この例えでは解決できてない所も色々あるんですよね。
雑誌などの発表媒体を店、という概念で導入した時にはボロボロになりますよ、とか。
3要素だけなら握り寿司にでも例えられて、シャリ+ワサビ+ネタで、作者は職人さんで、食べる側が醤油を付ける場合と煮切りの塗ってあるので違いが大きいですよ、とか。
カレーライスとカレー丼の違いって器だけなのかどうなのか、とか。
カツ丼とソースカツ丼の違いってキャラクターになおすとなんなのよ、とか、オムライスはどうなるんだ、とか。
なんだアタマだけ喰うのが邪道とでも言いたいのか、とか。
ま、その辺は喰う側の自由なんですよ。
海鮮丼の上だけ喰ったっていいわけです。
#本日の画像は古雑誌マガジンシリーズのそのうちやる予定の1冊。週刊少年マガジン1969年35号表紙。