今から10年前の、「コミッカーズ」2001年秋号に掲載されたインタビューより。
その後の作品の移り変わりを見るとなかなか面白い。
この時点ではストーンオーシャンの連載中(中盤くらい)で、スティール・ボール・ランの途中から青年誌に、ジョジョリオンもそっちで、というあたりも含めて考えると面白いです。
以降、茶色の文字列はインタビュアーによる部分。
例えば殺人鬼にも、生い立ちや生活とかがあったりして、その人を知れば知るほど味方したくなってきたりする。
そうすると可哀想な人に見えてくるんですけど、そこを少年誌で描いちゃダメなんです。
その人が敵じゃなくなってくるから。キャラは「主人公と比べたら完全に悪い人だ」っていう確実な線引きがあるから快感になるんじゃないかと思うんですよね。
―でも、作品中にはそういう生い立ち的な部分も多く描かれてませんか?
だから、そういう部分を描くと快感みたいなものはなくなるかなと思うんですけど、大人の味わいとして「哀しいな」みたいのは出てくると思うんです。
吉良吉影なんかこの典型かもしれないですね.
「ジョジョ立ち」的なポーズや絵についての質問には
彫刻とかを見るのが好きなんですけど、ねじってたりするんですよ。妙なドラマチックなポーズっていうのかな?
(中略)
一つのキマリ、流れがあるんですよ。なんか見てると分かるんですけど、そういうのが面白いんだよ。ねじるとさらに面白くなってくるというか。
作中でも噴上裕也が「ミケランジェロの彫刻」なんて引き合いに出してますし、動きの一部をどう切り取って絵にするか、というような所もあります。
絵って、ちょっと変な感じを取り入れるともっと面白くなると思うんですよ。ちょっと気持ち悪いとかね。まるっきり美しいよりちょっとケガしてるとか。
この辺は、「型破りというのは型が完全に出来てからやるからこそ型破りであり、そうでないものがやろうとしたら形無しだ」という言葉にも通じる所がありそうです。
絵を描いてる仕事なんだから絵を見て面白くなきゃマンガじゃないと思うんですね。
ネームも重要ですけど、絵に魅力がないと。基本は絵描きじゃないですかね。
荒木さんは画用紙をピンで留めて裁断したオリジナルの原稿用紙を使用している。
って書かれてました。こういう所にも「絵」へのこだわりが見えますね。
ただ、この説明だとどんな紙なのかよくわかりません。サイズは普通の漫画原稿用紙と同じって事?
漫画と「哲学」
インタビュー後半で、キャラクターの運命・動機付けについて話していたあたりで、少し脱線していきます。
マンガを描いてると哲学的な境地にまで考えが及んだりすることがあるんです。
そもそも主人公はなんでここにいるんだろうな、と思うわけ。
描いていると、どうしてこの人は生まれてきたのかなという所まで考えちゃうんですよね。そうすると人間って何でいるんだろうなというところまでいくんですよ(笑)。
神様っているのかなとか、何で人間は地球にいっぱいいるのかな、みたいなさ。
そういうとこまでつい考えてしまうんですよね。描けば描くほどそういう風になってくるんですよ。
ストーンオーシャンの最後の敵であったプッチ神父の「動機」などを見ると、なるほど、あれはよくわからんがそういうことなのかもとも。
違う、ということは目指している事でもあり、意識でもあるようです。
で、動機に戻りますけど、マンガ描く人はまず動機を決めるべきだと思うんですね。そうするといろんなものがとにかく不思議にできてくると思うんですよね。拡がってくるというか。
あと、人とちょっと違ったものにしようという意識が必要というか。なんか見たことあるヤツだな、っていうのはちょっとやめたり。
発表媒体については、
―最後に、少年誌っていうのは人が初めて見る物語の媒体の一つだと思うんですけど、それに関して意識していることはあります?
いや、それはほとんどないですね。でも、例えば子供を殴っちゃいけないとか、最近ちょっと規制が増えたので、逆に描きづらいかも知れないですね。
も、少年誌という意識は自分では全然してないです。だって、それを意識してたら、外人を主人公にしちゃダメだよとか、主人公殺しちゃダメだよとか(笑)、さんざん言われてきたことをやってるわけで。でも、そういうのは打ち破っていかないと。
とあり、自分がやりたいことを描ける場であればよし、というのもあるのかなあ、と。
縛られてる様で、その枠を気にしては居ないというか。
なかなか面白かったので、機会があれば読んでみてはいかがでしょうか。
といった所で今回はここまで。