機械仕掛けの歌姫-19世紀フランスにおける女性・声・人造性-(著:フェリシア・ミラー・フランク、訳:大串尚代)、これは面白かった。
章立ては以下のようになっています。
- 第一章 母なる声への郷愁
- 第二章 エコーの忘れ得ぬ歌
- 第三章 女祭司の歌
- 第四章 時計仕掛けの鳥-歌手と天使とあいまいな性差-
- 第五章 ボードレールと化粧する女
- 第六章 エディソンの録音された天使
- 第七章 人ならざる者の声、崇高なる歌
訳者あとがきでもこのように書かれているのですが、
初音ミクに代表されるようなヴァーチャル・ボーカリスト(ボーカロイド)がお目見えする現在の日本の文脈を斟酌する限り、女性と人造性と声をめぐる本書の考察は、むしろますます意義を増しているのではないだろうか。
読み進めていくと、今も昔もそういう方向に向かうフェティッシュは似てるのかも、と。
本書の中では「未来のイヴ」(ヴィリエ・ド・リラダン)が何度も引かれ、そのイヴの「肉体」と「声」の主題がいかにして導かれ、結実したか、どういった意味を持つのかということも語られていきます。
第四章では、18世紀から19世紀へのオペラを演じる役者の変遷(カストラート全盛から、女性歌手の台頭)と、その歌手達の持つ「肉体」と「声」が逆転する事によるゆらぎと快楽について書かれるのですが
そして性差をあいまいにした、あるいは隠蔽した歌手が発する性を持たぬ声が生み出す快楽と言う伝統が、性差構造の不確かさを示唆する読みを可能にしたのだと言えよう。
しかしもう少し視点をずらしてみると、また別のパターンがこうした物語にあらわれてくる。
歌い手の性差を曖昧にさせる身振り以上に明らかなのは、別の意味において、完璧な歌手には性がないということである。
つまり、どちらの性でもなく、鳥の歌声、鐘、水晶、ヴァイオリンの音などと同一視することにより、歌い手をなんらかの形で人間ではないものにする能力を持っているか、それがほのめかされるのである。
第四章「時計仕掛けの鳥」 P218 より
元々は歌手の声であり、楽器であり、人造であるボーカロイドは逆の側からこの境地へ向かっているのかもしれません。
また、カストラートが女性役を演じていた18世紀のオペラと、女性声優が少年役を演じる現代日本アニメーションの対照性というものについても考えさせられるかもしれません。
そこにあるのは倒錯ではなく、単純にそう聞こえるだけでなく、そう聴きたいと言う聴衆側の意思も反映されているのです。
当時の録音技術の制約から、あるものが大量に複製され、それに結びつく個人の声、というものはあまり取り上げられないのですが、「人造美女」という概念を考えるに置いて、ゲームのキャラクターも性を排除している、と言い得るのではないかと。
人造美女は、また別の意味での女性性排除をも体現する。
系術的創造物である人造美女は、母性を抑圧する事を含意する。
その一方で彼女の不毛性は、象徴主義者たちが崇めた処女性を暗示する
第六章「エディソンの録音された天使」P311より
P312における「未来のイヴ」からの引用を端的に言い換えるとこうなるのかもしれません
「火と光から作られてる偶像はマジ天使!」
なにがなんだかよくわからないかもしれませんが、「歌声と女性とテクノロジーの関係」というテーマに興味を持たれた方は読んでみてもいいんじゃあないでしょうか。