情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

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漫画、あるいは小説、もしくはエッセイなどの
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少女・女性向け漫画雑誌には何故中綴じのが無いのか




 あんまり纏まってません。
 推測としては、

  • 連載1回ページ数を多く取るためと一話完結型が好まれる事から、中綴じではページ数が足りなくなるため
  • 読み捨てという概念が薄いので、その1冊での完結度・満足度を上げるため

 あたりかなあ、と。



 いえね、調べてみると20年くらい昔にはあったんですよ。LaLaの別冊とか。
 でも、今は女性向け漫画雑誌で中綴じ*1ってまったく無いんですよ。ぜーんぶ平綴じ。



 こちらの記事を読んで一寸気になったんですよ。
 マンガ雑誌の発行サイクル: 漫棚通信ブログ版


マンガの中でも、少女マンガ系は早々に週刊サイクルから撤退してしまいました。
理由の第一は雑誌売り上げの問題なのでしょうが、制作側にも「少女マンガ」の量産はきびしい、という理由があったのかどうか。
いずれにしても、再度少女マンガ週刊誌が登場することは、ないと思います。

 ここで「量産」という言葉が出されてるんですが、漫画家が一ヶ月に描けるページ数とかそういうものとして自分は捉えました。
 で、週刊・隔週・月刊の発刊ペースと、雑誌で1回に掲載される作品のページ数の兼ね合いとか、話の作り方なんかも影響あるんじゃないのかなと思うんですわ。




 現在の週刊漫画雑誌だと、ストーリー漫画の場合1回のページ数は18〜20P。
 隔週誌だと1回24〜30Pくらい。
 月刊誌だと32〜40Pくらいまでまちまち。
 もちろん、増ページとかでもっと増える場合もあります。


 ただ、その漫画家が一ヶ月に描けるページ数が決まっているとして、それを4分割とするか、倍のページで隔週で載せるか、はたまた月刊で4倍*2、ということを考えてみるとどうなんだろうかと。


 ここで、少女誌・女性誌における読切文化というかそのようなものがまた関係するかもしれません。
 少女向けって、読切で好評だった場合にそれが中・短編連作としてシリーズ連載化した例が結構多いんですね。
 一話目を描き直して連載にするんじゃなくて、本当にそのまんま設定やキャラクターを使って続けるの。


 例としては「綿の国星」なんかそうです。そもそもはLaLaの101ページ読切シリーズのうち1作として読切掲載されたのがシリーズ化したんですね。
 *3


 


 あとは、青年誌の読み捨て文化との差もあるかも。
 通勤・通学で網棚に置いて来ちゃうのと、部屋で読むのとで厚さ・重さの限度は違うだろうし。
 というか、少女・女性誌はあんまり外で読まれることを想定してないのかも。



 まあとにかく、作品のページ数は増やす、作品数は減らさない、となると中綴じ雑誌では物理的に限界があったので、平綴じになったという経緯とかがあるかもしれません。
 そしてそれは同時に週刊誌の限界というのにも関係あるでしょう。1回のページ数の多いシリーズ連載というのは、裏を返せば休載が多い、ということでもありますから。
 (この辺ヤングサンデーもなあ・・・)



 あとは、少年誌が平綴じなのに青年誌が何で中綴じになったのかという*4のを考えてみると、レディコミなんかはその発展と発生過程において中綴じになるタイミングが存在しなかったのかも。
 (つまり、冒頭で例に挙げたLaLa別冊なんかが特に異端であったという可能性)


 結局、よく分からないけどそういうことになった、という話でしかないのかも。
 女性週刊誌は中綴じだしね。




#こう「お得感」みたいな概念も影響してるんじゃないのか、と考えてますがよく分からない。


*1:ヤングジャンプとかみたいな形態ね

*2:まで行かないだろうけど

*3:白泉社月刊LaLa 1978年5月号 P283より

*4:大人向けの週刊誌や劇画誌が中綴じだったので、それが基準になった