情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

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漫画、あるいは小説、もしくはエッセイなどの
印象、あるいは連想、もしくは感想を書いてるBlog。

1988年のGOROより、サイバーパンク特集 その2 ギブスン、スターリングのメッセージ、エスパー清田とMr.マリックインタビュー他




 というわけで、


 に続き20年前のGOROより。特集のうち2色・*1モノクロページ分。


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CYBER PUNK CATALOGUE


 サイバーパンクに関するメッセージとコメント、そして作品紹介。


 GORO 1988年 No18 CYBER PUNK 001
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  • ウィリアム・ギブスン「日本の人たちには「好きなことをやってくれ」といいたいね。未来の世界だって、いまの東京よりおもしろくなるはずないんだから」


 ボクがやってるのは、未来を予測することではなく、SF作家としての想像力を働かせることだ。だって、本物の未来の世界は、おもしろいだろう、けど愉快なものにはならないだろうしね。自分の小説のなかの世界のほうが、ボクにはずっと居心地がいいな。なにしろ、今の東京よりもおもしろい世界になんて、なりっこないよ。
 日本の読者のみなさんには「好きなことをやってくれ」といいたいね。たとえば、ウォークマンはボクに大きな影響を与えてくれた。テクノロジーを、ただ受動的に受け入れて消費するのではなく、能動的に自分のものにして、使い切ることが大切なんだ。宣伝されている公式的な使い方じゃなくてね。宣伝なんてウソなんだもの。テクノロジーに対して、もっと能動的に接していくことを、日本のみなさんにはもっとやってほしいな。


 このメッセージの「東京」から20年。
 今外国人が考える東京はやっぱりアキハバラなのか、それとも東京サッカーパンチ(ISBN:4594039413)のようにゲイシャとヤクザと新興宗教がおっかけっこをしてる街なんでしょうか。


 サイバーパンク(電脳サイバーチンピラパンク)というのは、ハッカーとロッカーがオーバーラップする、コンピュータ・テクノロジーとロックの感性が混合ハイブリッドされた中間領域に心材する。キミらは「全ての事物は、その中心ではなく周辺に真実がある」をいうことを意識すべきだ。たとえば、自動車王フォードはクルマを「人々を解放してくれる便利なもの」としか考えなかった。それが都市の形態や人間の性行動、環境破壊に影響を与えるなどと思わなかった。テクノロジーというのは、発明者やPRマンの考える中心的アイデアはしばしば間違っていて、その周辺の境界領域に近いところ、サイバーパンク・エリアでこそ真実が現れるんだよ。


 このページの映画は



GORO 1988年 No18 CYBER PUNK 003 GORO 1988年 No18 CYBER PUNK 002
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 サイバーパンクとは、ウィリアム・ギブスンの一連のSF作品に描かれた、一種ニューロティックな近未来ハイテク・アンダーグラウンド世界に衝撃を受けたSF評論家達のあいだで用いられだした、ある傾向のSFを表した用語だ。
 代表的作家としては「スキズマトリックス」のブルース・スターリング、「ブラッド・ミュージック」、「永劫」のグレッグ・ベアなどがわが国でもすでにおなじみで、またサイバーパンクSFのサンプル作を集めた「ミラーシェード」という入門編も紹介されている。より詳しく知りたければこれらの作品にチャレンジしてほしい。
 基本的には、現代をハイテクによる革命が進行している時代ととらえ、それが社会や人間をどのように変えていくかという問題にSF的想像力をふるった作品のことだ。ただ、これまでのSFと大きく違うのは、MTVやテレビゲーム、あるいは合成麻薬など、ハイテクの導入によって大変貌をとげているポップ・カルチャーの姿に、大きな可能性を認めている点だろう。
 映画「ブレードランナー」やビデオ「マックス・ヘッドルーム」などもこうした傾向のSFとあい通じるものといえ、ひろく80年代後半の時代精神をとらえるキーワードとして、この「サイバーパンク」という言葉を用いることもある。思想や倫理とは関係なく、テクノロジーの飛躍的進化によって否応なしに変わっていく世界をありのままに受け入れ、そこに積極的にコミットしていく姿勢をさすとでもいうべきか。
 メカ音痴でもなくメカ・フェティッシュでもない、新しいポップ文化のクリエイターたちの起こしている文化運動、それがサイバーパンクだ。


 「文化運動」と流行の差は何でしょうね。
 とにかく、現在までもその潮流から生まれた何かが息づいてるのは確かです。



 サイバーパンクが現れてきた大前提には、現在の思いもよらなかったコンピュータのパーソナル化の社会があるわけです。今から10年前でさえ、これだけ日常生活の中に人工知能=まいくろ・コンピュータが入り込んでくることは、どんなSF作家も想像できなかったわけです。サイバーパンクと呼ばれている作家の中にも、日本人の日常がこれだけコンピュータに占領されていることすら知らない人が多いのですから。
 そして、今後の問題は、パソコン社会が生み出す電脳空間(電子ゲームや電子ネットワーク)に耽溺する人間が増えていくことでしょう。
 もしも電脳空間のほうが快感があるならば、現実世界からそこに逃避した方がいいということになる。そうすると、人間の生きている意味とは何なのか?そこでどう主体的に生きればよいのか、が問題になるはずです。サイバーパンクは、そのような未来の実社会の変化と問題を予言しているのです。


 ネトゲ廃人、ネット引きこもりなんかで予測はそのまんま当たってますか。
 問題は、それを続けるには金が必要で、それは多分この先もそんなに変わらないってことでしょうか。
 それが錨になってることもあるんでしょうけど。





 映画が幾つか紹介されています。解説は写すのがめんどくさくなってきたんでsoorceが勝手に書きました。(上のブレードランナーメトロポリスも)


 小説・書籍も幾つか。

  • ニューロマンサー ISBN:415010672X
  • スキズマトリックス ISBN:4150107513
    • 肉体改造SFというのも現在ならばジャンルとして分類できるほどあるが、その分野を広げた切っ掛けの内1つか。
  • ミラーシェード ISBN:4150107629
    • これはアンソロジー。ブームに乗って編まれたものなので、当時の空気を意識して読まないと何これ、になると思う。
  • アルファベット・サウンズ・ゲーム ISBN:4893504029
    • これはよく知らない。カセットテープのついた本で、「フォロニクス・システム」をつかった音というのが売りだったらしい。
  • 時空の支配者 ISBN:4102243011
    • ルーディー・ラッカーの作品。これはサイバーパンクとは言えない様な・・・。
  • ノーライフキング ISBN:4103701013
    • いとうせいこうの小説デビュー作。「呪いのゲーム」!「カブト虫」!「夏休み」!「学校のウワサ」!「大人は敵」!「イチジクのタルト」!「裏技」!「特異点」!「カブト虫」!「ファミコン」!「天使」!「ドロローサへの道」!「藤原カムイ」!「カブト虫」!ごめん半分嘘。
  • テレビゲーム〜電視遊戯大全 ASIN:4946432310
    • TVゲームの集大成資料本。現在はとんでもないプレミア価格がついてるみたいですね。


 絶版になってるのが半分。カセット付の本って今だとCD付かな?



CYBER SEXとCYBER ART

 この2項は現在の方が進化しすぎててなんともはや。
 アメリカのパソコン通信も当時は出会い系まっさかりだったとか、自然の風景をCGで再現するにはスーパーコンピューターを何日も動かす必要がある*3とか。


GORO 1988年 No18 CYBER PUNK 005 GORO 1988年 No18 CYBER PUNK 004

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GORO 1988年 No18 CYBER PUNK 006
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 草の根BBSには、ゲイやレズ、ロリータ、スワッピングのためのBBSが存在する。あるロリータ趣味の草の根BBSは、各地から集めた美少女のデータをデータベース化している。そのデータベースがロリータ犯罪に使用されるということで裁判ざたにまでなった。
(中略)
 たしかに、お友だち募集や裏ビデオ販売などのメッセージも多いが、セックスで悩む青少年の相談やエイズで差別されたゲイの相談など、けっこう世の中の役にも立っている。


 草の根BBSは匿名も何もあったもんじゃなく、電話番号=IDというほぼ完全実名ネットだったわけですが・・・。抑止効果とか・・・。
 「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とか言うと某先生に怒られますかね。





清田益章エスパー的ハイテク未来論」


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 ちょっと、いやかなりスピリチュアルにサイキックなアレなんで数箇所のみ抜粋。


 実は、ボクもいま、超能力を開発するためのファミコン用ソフトを作ってるんだよね


 伝説的クソゲーマインドシーカー」のこと。
 実際に超能力に開花するより先にぶん投げた人の方が多いかもしれません。

 事実、清田クンとつきあいだすとスプーンが曲げられるようになる人が多い。直木賞作家の景山民夫氏もそうだという!


 えーっと・・・いや、ほら、その、なんだ、ヘレンケラーは三十九ですよ。


 重要なのは、いまある自分をもっと広げよう、というポジティブな欲なんだ。
 人生を変えたいではなく、人生をふくらませようという、自分のワク組みをひろげていく能力が、超能力に通じるんだ


 ・・・この言葉を梅田望夫さんが書いってことにしたら、信じちゃうって人もいるんじゃないかなー。
 それも一興ですが。


 光通信とかがどんなに早く情報を伝えられても、テレパシーにはかなわないだろ?


 ボクは物質的なレベルでのテクノロジーはもう全部出揃ったと思う。
 そこからさらに上のレベルへテクノロジーを飛躍させるには、精神性が必要なんだ


 ガイアがささやいてそうな。
 業子力学ってこういう感じだったかな。プリンは美味しいですよねー。



 現在、エスパー清田は麻薬取締法違反で執行猶予中。
 本人の公式ページ(http://www.super-gaia.org/)は「充念中」となっております。




超能力と超マジックの狭間からMr.マリックの3.5次元メッセージ


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GORO 1988年 No18 CYBER PUNK 013 GORO 1988年 No18 CYBER PUNK 012
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 この頃はブーム真っ最中だったんでそれを加味した感じになってます。
 寄席色物の延長としての話芸と手品の混合スタイルと考えると正統派なんですけどねー。

 こういう不思議を見せる人って3種類しかいないんです。超能力者と宗教家とマジシャン。


 自分がどれか、というのは言い切ってないんですよね、この頃だと。
 ただ、並べ方は編集の恣意も入ってるか?


 マジックですよといって超能力だったよりは、すごい超能力と思ってマジックだった方が、ホッとするんですよ、人間って。ああ、よかったって。


 これはマギー司郎が似た様な事言ってた記憶がある。
 お客さんを不安にさせな、嫌な気持ちは残さない、みたいの。


 これは異種格闘技みたいなもんですね。同じ土俵に上がって、超魔術対超能力の戦いがどこかでできるようにしたい。


 これも今読むと、分かってくれるよね、というのを暗示してるっぽい。


 目に見えないけどトリックに決まってるとか、目に見えないから超能力だとかいう、軽はずみなものの考え方はもうやめないと。そういう、自分の目しか信じない人が、何かを見せられるとインチキな宗教に凝っちゃうんですよ。世の中にはものの見方がまずいためにお金を取られたり、だまされたりしてる人が多いんです。

 ミックスした中間がいいんですよ。現実に不思議なものって中間のものばかりでしょう。それを楽しんで、人間って不思議なことができるんだなあと思ってくれればいいんです。


 エンタテインメントと嘘の間の壁は、あって無いようなものですが、盲目的に信じてしまうのでは無く、それを分かっていながら面白がれれば一番良いんでしょうけど。
 プロレス的ギミックをギミックとして楽しめるか、芸能人の熱愛報道みたいな話題をエンタテインメントとして作られたものだと楽しめるか、みたいなね。


おまけ


 DARIYAのヘアムース「JOY JACK」の広告。
 クワマンこと桑野信義マーシーこと田代まさし(だよね?)。


 GORO 1988年 No18 JOY JACK 広告
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 800円って値段がどうかはよくわかりません。




 といったところで今回はここまで。




#あと1回で終わるはず。

*1:大友克洋インタビューを除く

*2:マンハントを行うTV番組というアイデアに限れば、1940年代のパルプ・フィクションであったんじゃね、という指摘を読んだ記憶もあるが

*3:現在の家庭用ゲーム機のリアルタイムレンダリングとかどう思うんだろう