情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

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新約「巨人の星」花形について、幾つかの断片と考察


 今日はかなり電波入ってます。ゆんゆん。

まとめ

  1. リメイクを行うタイミングが今年であるのは必然かも
  2. 梶原一騎イズム(またはその源流)を現代そのままに持ち込むことが不可能であるため変化が生じるのはしょうがない
  3. 「最終的には勝つことが約束された物語」としての『花形』
  4. 週刊少年マガジンも、手塚治虫作品リメイクへの参入をもくろんでいるのでは


 今日のはかなりヤバい電波が降って来てるんで、真剣に受け取られても保障はできかねます。
 引用に関してはちゃんと手元に資料があるものから引用しておりますが、下に行くほど妄言度高め。


 以下にそれぞれの結論に至った過程を述べます。


何ゆえ、今「巨人の星」なのか。そのタイミングの必然性について

 「梶原さん、マガジンの“佐藤紅緑”になってほしいんです」
 講談社の名物編集者・内田勝のこの一言から、劇画原作者・梶原一騎の栄光と破滅のすべては始まった。
 (中略)
 ただし、もっともっとリアルに、野太く、人間の強さも弱さも表現する大河ドラマを----。

 斎藤貴男梶原一騎伝」(ISBN:4101487316)P7、P34より。



 今を遡ること80年。1927年(昭和2年)5月号より講談社の「少年倶楽部」で佐藤紅緑の『ああ玉杯に花うけて』の連載が開始されました。
 「巨人の星」はそれからほぼ40年後、1966年に週刊少年マガジン誌上に登場しました。
 そしてさらに40年後、今年2006年に「新約「巨人の星」花形」(以降『花形』と表記)が連載開始されたわけです。




 この『ああ玉杯に花うけて』は1927年より講談社の少年誌「少年倶楽部」に連載されその発行部数を30万部から50万部まで押し上げたとされています。*1
 また、『巨人の星』は、その後に開始された『あしたのジョー』とともに週刊少年マガジンの発行部数を100万部以上に*2伸ばし、黄金時代を築いた立役者です。

 昭和二年という年は、佐藤紅緑にとっても『少年倶楽部』にとっても重要な年であった。加藤謙一は『少年倶楽部時代』(講談社 昭四三・九)のなかでこの年について<少年倶楽部の誌上百花繚乱の姿を現出した年として忘れられない。>と記している。

 少年小説大系16巻 佐藤紅緑集(ISBN:4380925501) 解説より


 巨人の星は、その内容・雑誌の部数増への貢献・それ以降の作品に与えた影響、いずれにおいてもこの『ああ玉杯に花うけて』と酷似した現象でもあり作品でもあったと言える訳です。
 そして、その両作品の間隔は約40年。


 この約40年周期という符号を週刊少年マガジン編集部が気付いていないはずは無く、このリメイクを始めるタイミングとしては、今年が最適だったと考えたのは当然、いや必然だったといえるでしょう。


しかし『巨人の星』をそのままの形でリメイクすることは不可能だし、意味が無い

 『ああ玉杯に花うけて』は戦前の少年小説でありますから、「教養」というには少々マニアックにすぎる*3ので内容に関して解説が必要かもしれませんが、インターネットというのはありがたいもので、http://www.aozora.gr.jp/cards/000575/card3585.htmlで誰でも無料で読むことが出来ます。*4


 紅緑の児童文学は、厳として独自の地位を占めている。子規の精神を守り、春浪の志をうけて、紅緑は日本の少年少女たちに、志の物語を語ったのである。立志といってもよい。言志といっても、述志といってもよい。

  少年小説大系16巻 佐藤紅緑集(ISBN:4380925501) 解説より


 もうお分かりのように、『ああ玉杯に花うけて』も『巨人の星』もその根として貧困とそれに打ち勝つ姿と、その志を描いた物語と言えます。
 しかし、その40年の時差がこれらの物語の差として存在するのは歴然としています。それは『巨人の星』と『花形』の差として受け入れざるを得ない変化でもあると言えるのではないでしょうか。


 今回のリメイクに関してマガジン編集部はこのように述べています。

 同誌では「今の中高生には、貧しさからはい上がる飛雄馬より、恵まれた環境にある花形のほうがリアリティーがある」と話している。

  http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20060809bk05.htmより



 『巨人の星』に関して梶原一騎自身の言葉から引けば、

 「しかし、怪獣やスーパーマン以外に今のジャリが何を求めてますかな。あんなものに狂喜している連中のことだ」
 シニカルな私に、両氏*5はクラシックにして大上段の形容をもちいた。
 「大河小説に代わる大河マンガですよ!マンガが小説を代行しようと言うのならそれ相応の志の高さを作者サイドも編集も忘れてはいけないのにすっかり忘れているのが現状です。人間をガッチリ書き込み、ごく現実的な環境を設定し、そこからおのずと派生するドラマで、ご都合主義の見せかけアクションと勝負するんです」


 (中略)

 「男の中の男を----ただしスーパーマン的ヒーローじゃない。クールやドライなんてマネキンみたいな奴が男らしいみたいに錯覚されている世の中に、とことんホットでウェットな男を描く。いわゆるカッコよかないが、むしろカッコ悪い試行錯誤の繰り返しの中から磨かれて底光りする真のカッコよさを全ガキ連に教えてやる」

 文藝春秋1971年12月号「巨人の星・わが告白的男性論」

 蕪木和夫「劇画王梶原一騎評伝」(ISBN:4938733072)P36〜37より



 既に大河小説はTVドラマや大河漫画に取って代わられ、それすらも怪しくなっている昨今にそのままのリメイクを行う意味は無いといって良いでしょう。
 となれば、「とことんホットでウェットな男を描く。いわゆるカッコよかないが、むしろカッコ悪い試行錯誤の繰り返しの中から磨かれて底光りする真のカッコよさ」とはまったく違ったものにしようとするのもまた必然かと。


花形は星に負けなかった。それは『史実』である。

 この『花形』が甲子園決勝まで描ききられたとすると、それは「巌流島で勝つ佐々木小次郎」の物語とでもいうべきものとなると考えられます。

担当者は「今回のストーリーは基本的に原作に忠実にします。ただ、多少は原作を膨らませる部分もある。初回の話は、原作で不良少年だった花形が、不良になる前の話です」と解説。だから「新約」なのだ。

 http://www.zakzak.co.jp/gei/2006_08/g2006081608.htmlより





 先の引用でも述べたように、大河ドラマならぬ大河漫画である『巨人の星』のように明確に主人公が決まっていた作品を別の視点から語りなおす、というのは、(その原作に忠実であろうとすればあろうとするほど)困難であることが予想されます。
 原作に忠実というのはとても厳しい制約であり「結末の分かっている物語を如何にして描くか」という読者の期待を背負うものと成ります。


 では、主人公を変更して語りなおすにあたって、誰ならば可能なのでしょうか。



 新しい編集長は内田勝君といった。
 内田君は『チャンピオン太』時代のオレを覚えてくれていたのだろう。ある日、宮原副編集長をともなってオレの家に訪ねてきた。
 「梶原さんなら、本当のスポーツ漫画が書けると思ってきました」
 内田君は、そう挨拶してから、
 「お子様ランチの野球漫画じゃなく、吉川英治の『宮本武蔵』のような野球漫画が考えられないでしょうか」
 といった。
 彼らは、“事件”のみを描いてきた漫画に、ここらでプラス“人間”というものを描いてみたいというのだ。当時としては大胆な発想で、
 「構想に一年を費やしてもかまわない」
 と、二人は熱っぽく語った。


 梶原一騎「わが懺悔録--さらば芸能界の女たち!」(ISBN:4906069045)P229〜P230




 宮本武蔵を例に挙げれば、吉岡清十郎・伝七郎は死亡し、佐々木小次郎は巌流島で敗北するのです。
 戦国時代ものならば、今川義元桶狭間で討ち死にし、武田信玄*6病死し、織田信長は本能寺で焼かれます。
 これを覆し、語り直される際に主人公が勝利する物語にするならば『史実』と異なった改変モノになってしまいます。


 しかし、巨人の星という物語の『史実』において花形満は主人公のライバルキャラでありながら最終的に勝利者側という特殊な立場に居ます。
 別視点から語り直すのでありながら、(元の主人公に比較して)家柄良し、顔良し、才能良し、さらには勝利が約束されている。


 巨人の星をリメイクするにあたって、主人公を花形にするのは『史実』に忠実であろうとした場合に可能な唯一の選択であるのかもしれません。


もう一つの目論見は、さらなるリメイク作品への道を作ることかも。それも手塚作品への。


 ここでもう一つ考えなければならないのは、花形満とは何者かということです。*7


 巨人の星の登場人物の中で梶原一騎の分身的ペルソナとして考えられる人物が3人存在します。それは

  1. 星一徹
    • 読売巨人軍を追放された経緯などから鑑みるに、一騎が一度は週刊少年マガジンで連載を持ったものの、以後編集との確執(と梶原が受け止めているもの)により干されたという経験を反映しているとも思えます。
  2. 星飛雄馬
    • 主人公ですし、どん底から栄光までの道を駆け上がるのは自身の夢を託し、実現させたと言えるでしょう
  3. 左門豊作
    • 九州出身である梶原自身を反映し、飛雄馬と同じ、またはそれ以上のどん底から這い上がる姿を見せています。


 花形満は、このいずれとも対極にあるような異色の人物なわけですよ。
 大体、命名からしてそうじゃないですか。『花形』*8で『満ち足りている』んですよ。


 もともとお坊ちゃまで、金に不自由していない、自他共に認める我侭さかげん、飛雄馬よりも先に世間に認められ、一番の大舞台(甲子園決勝)では勝利し、入る野球チームは関西。


 細かい説明を省略すると、花形満梶原一騎から見た手塚治虫なわけです。


ΩΩΩ<なんだってー


 所属チームのことで言えば、ヤクルト、大洋、広島、中日のいずれでもなく阪神なのは何故なのか。
 阪神甲子園球場は神戸にあり、そこが手塚治虫の出身地だからに他ならないでしょう。


ΩΩΩ<なんだってー



 その花形を主役に据えた漫画を連載する、ということ自体、実は手塚作品のリメイクをやりたいけど素直にやれないという編集部の葛藤から生じた結果かもしれないのです。



 そして、手塚作品(に限らない過去作品)をリメイクする、ことを考えれば、『花形』はどうころんでも良いと言えてしまうのです。

  1. 『花形』こける
    • 題材が合わなかったか、新人だったのが悪かったんですよ。スポ根じゃないのをベテラン作家でやりましょう!
  2. 『花形』小〜中ヒット
    • これだけいける実績が出せました。他雑誌では手塚リメイクやってうけてます。こっちもやりましょう!
  3. 『花形』大ヒット
    • 巨人の星以外のリメイクでも受けますよ!もっとやりましょう!

 

 そうなった場合にどの作品をやろうとしてるのかすら想像が付きますね。
 どんな作家で、というのは難しいですけど。


 ・・・もちろん、未来人カオスを石川賢がリメイク、でないことは確かですが。




参考文献書影など

 わが懺悔録 表紙 梶原一騎伝 表紙 梶原一騎評伝 表紙 
 マガジン1969年35号表紙 マガジン1969年35号表紙 部分拡大 マガジン1969年35号もくじ




#しかし、現在の週刊少年マガジン編集部がどのような言を持って村上よしゆきにこの連載を持ちかけたのか想像するに、「マガジンの『大江戸ジゴロ』を作りましょう!」だったんじゃないかなあ、とか。


*1:当時の他の連載作品として吉川英治の「神州天馬侠」など

*2:たとえば1969年35号ですが、115万部と表紙に記されています

*3:恥ずかしながら私自身、この小説を読んだのはかなり後になってからで、少年倶楽部文庫版(のらくろのマークの付いたアレ)でです

*4:元々少年向けの平易な文章ですし分量もそう大したことは無いので、30分から1時間程度で読めるかと思います。興味がありましたら読んでみてください。

*5:soorce註:内田・宮原両記者

*6:正確な死因はともかく

*7:ここから電波出力最大

*8:【はながた】はなやかで、人にもてはやされる人や物事

読んだ本

  1. 週刊少年マガジン
  2. 週刊少年サンデー
  3. 隔週スーパージャンプ
  4. 隔週別冊漫画ゴラク



#カラスヤサトシ(ISBN:4063144259)、本屋5件廻ってやっと買えた。入荷なし、1冊入って売切、1冊入って売切、入荷なし、1冊のみ存在。これ、カバー下もカバー裏もびっしりつまっててすごいですね。